Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


生まれるところは選べないけれど……。

ヒトは生まれるところは選べないけれど、どこでどう暮らすかは、(ある程度)選ぶことができます。そこに住まずに通う、という選択肢も含めて。

(仕事を含めて)現代の技術をうまく使えば、好きな土地で暮らすことができると思うのだけれど、素敵な日本の田舎はなぜかどんどん過疎化しています。
山里に暮らしてみてしみじみ思うのは、昔ながらの山仕事だとか、あるいは伝統的な農法(や場所によっては漁法)だとか、あるいは古い集落の佇まいや里山の景観などがいま急速に失われてしまうことへの危機感でした。
さらには、この青い星に生きる生き物のひとつとして、暮らしていけることの喜びまでもが失われてしまいがちであることが、なんだか、なんともモッタイナイ! という思いでした。

皆が皆、田舎で暮らすことがいいとは思わないけれど、いまの日本の田舎の失われ方、尋常ではなく、モッタイナイと思います。

標本さんのこの記事、
そのあたりの思いがじょうずに表現されています。
いいなぁ。

suumo.jphttps://suumo.jp/town/entry/akasaki-tamaoki/

■追記■
標本さんの記事をFacebookでもシェアしたら、宮崎健太郎さんから、
過疎問題・人口減少については、この方のnote記事が非常に興味深い(恐ろしい)です。これを読むと「もうダメだ・・・」と思ってしまいますが、無理矢理にでも自分を奮い立たせて「どうすれば良いのか・・・」を考えたいですね。
というコメントをいただきました。

人口崩壊の全貌――今後、日本の少子高齢化は別次元の恐ろしい姿をとる|三春充希(はる) ⭐未来社会プロジェクト|note

確かにかなり深刻です。
都会には人口が集中しているので、全国の平均値で見てしまうと分かりづらいのだけれど、地方、特に、山村や漁村の少子化や高齢化は深刻です。しかもいまのままでは、この傾向は加速し、社会が崩壊してしまうのではないかとの心配もあるくらい……。

ついでに、そのコメントへのわたなべの返信もここに貼っておきます。

宮崎 健太郎 さん、ありがとうございます。
いやぁ、恐ろしいですね。
25年前にこの地に移住し、山村に住んでみて、こんなにも景色がよくて、ヒトも虫も草も自然も、素晴らしいところなのに、急速な過疎化、高齢化が進んでいることに驚くと共に実感させられています。
集落の道普請などでは、60過ぎの私が「おい、そこの若い衆、ちょいと手を貸してくれ!」などと言われます。
でも、一方で80を超えた方は、草刈りに参加しなくてもいいということになっているのですが、体が動くうちはそれも寂しいから「参加させろし」と言っては刈払機をじょうずに扱っていたりして驚かされます、80過ぎですよ。
実は少しだけ、楽観しているところもあります。
実際に、山村に暮らしてみて、今の技術(主には太陽光発電ですが)をうまく使って暮せば、家賃も駐車場代もいらないので、田舎の場合、生活にほとんどお金がかからないのです。いま、合計すると1町部ちょっとの土地を使わせてもらっていますが、土地代を払っているのは一箇所だけ。田んぼも、果樹園も大家さんの好意に甘えてしまっているのだけれど、タダでお借りしてしまっています。
田舎暮しの場合、お金がかかるのはクルマや暖房&給湯などの燃料代なわけですが、これにかんしてポイントは、中古のソーラーパネル、中古の電気自動車、真空管タイプの太陽熱温水器、(ペチカやオンドルを含めた自作)薪ストーブではないかと思っています。
都会では難しいことかも知れませんが、田舎であれば外国から輸入されている化石燃料や輸入食品に頼らなくても案外楽しく、そしてかなり快適に暮らしていけます。
化石燃料を使ったエネルギーの創出は、燃料を永久に使い続けないと維持できないエネルギーですが、太陽光発電の場合は、(製造時のエネルギーペイの終わった)中古パネルであってもそれらを使って日当たりのいいところに一度システムを組んでしまえば(いい加減なメンテナンスだけで)少なくとも100年はエネルギーを作り出してくれます。さらに、電気自動車や電動バイクは、そうして作った電気を蓄電可能な動く蓄電池でもあります。
幸い地方にはいま、世界中の資産家(我利我利亡者ともいう)がたくさんのメガソーラーを作ってくれているので、FITが終わった将来はそれらが地方復活の隠れたお宝になるかも知れません(虫好きとしては森林が伐採されてしまうのは悲しいのですが)。
ミヤケンさん同様、都会に暮らしていた頃は、面白い人を見つけては、日本全国を飛びまわって取材させてもらっていて、これ以上に魅力的な仕事はそうそうない、と思って取材旅をさせてもらっていたのに、いまはもう5年以上も江戸(クルマで2時間ほどなのですが)にも行っておりません。私にとって、いまの山村はそれくらいに魅力的なところだったりします。
でもまあ、私はどうも、少し変わり者なようで、同じように思える人ばかりではないと思うし、山村や漁村に暮らすことにはそれなりの苦労があるのも確かですが、将来的にはきっと、そうしたことに気がつくヒトはもっともっと増え、いい感じで山村漁村への分散化が図られる、と密かに期待しています。