Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


過疎の山村で、楽しく快適に、農的に気持ちよく暮らすためのレジュメ?

ミュージシャンでありアーティストでもあるKURIたちが暮らす森(北杜市須玉町江草)で、とても素敵なイベントがありました。1日目はミュージシャンたちによる、音楽会。
2日目は、八ヶ岳に住む人たちによる焚き火を囲んだトークの輪。
そこで「わが家の貧乏臭い暮らし」についても紹介させてもらいました。

みんなそれぞれに素敵な表情なのに、ひとり、回転式ドラム缶に座るヒトあり。

そのときに話す内容をメモしたレジュメを用意し、多めに印刷したつもりでお配りしたのですが、足りずにお渡しできなかった方もいて、問い合わせをいただいたので、以下に当日お配りしたレジュメを少し改良したもの貼り付けます(関連するページのURLなどを添付してみました)。
当日の話の内容は、ぜんぜんレジュメ通りではありませんでしたが……こんな内容の話をしたいと思っていました。少しでも農的な田舎暮らしの参考になれば嬉しいです。

廃品の燃料ホースと麻袋で作ったトートバッグを自慢しているところ。
(撮影 小林さちこさん)

「自給足的な田舎暮らし」のレジュメ


■自己紹介■ 名前 わたなべあきひこ

住んでるところ 山梨県北杜市白州町

■移住の経緯■

子どもの頃から虫が大好きで、中学生の頃から虫がたくさんいるこのあたり(八ヶ岳南麓)に移住したいと思っていた(急傾斜地にエノキが残り、オオムラサキの生息密度は世界一?)。

環境アセスメントの仕事を、虫探しの仕事と勘違いし、農大造園学科に入学。卒業後いろんな仕事をした。ほんの僅かな間だが、サラリーマンもしたことがあります(緑環境調査設計事務所など)。

26歳で結婚。結婚当時は個人事業者として造園設計や現場仕事(=植木屋さん)などをしていたのだけれど、「結婚したのに無職」と思った八重洲出版の編集長が「ウチにおいでよ」ということで、CARBOYという雑誌編集と造園設計の二足のわらじで暮らしはじめる。実はその編集長、八ヶ岳に奥さんの住む家があり、平日は東京で独身サラリーマン、週末には奥さんのいる八ヶ岳に帰るという生活をしていた。それを見習いふたりともヤツロクに移住したくて、必死に働いてお金を貯めた。ちなみに連れ合いは虫好きなテキスタイルデザイナー。

25年くらい前に39歳で移住。

家を建てるための材料や建具、薪ストーブなどををカナダのホームセンターから海上コンテナで取り寄せ、それを使って家を建ててもらうというスタイル。大工さんに雨風が凌げるようなところまで作っていただき、その後、キッチンやお風呂などお金や時間がかかる内装を中心に自分たちでやる、というスタイルで比較的安く家をつくることができた。でも25年以上たついまも完成しておらず、未だに床の貼れていない部屋や扉のない部屋などもある。ワタナベファミリアなどと呼ばれることもある。

元々ナマケモノだったこともあって、移住により仕事は激減。でも、家づくりに使う時間ができたので良かった。時間ができたことで、衣食住の自給自足が楽しくなり、ドップリはまる。

 

■衣食住の自給自足■

  • 衣は難しく、まったくできていない。

強いていうと、なるべく古着屋さんを利用し、手に入れた洋服を補修しながら大切に長く使うように心がけている。
「衣の自給」に関して、強いていうと、ヤママユからの糸紡ぎ?などを試した。

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  • 食を自給する楽しみには、ドップリはまった。

いまは、田んぼを1反、畑と果樹園は1町歩(3000坪=1万平米)くらいをお借りしている。最初は雑木林の一部を開墾させてもらい使わせてもらっていたのだが、山村の高齢化&過疎化でイチジク畑やぶどう棚などもお借りできることになった。

好奇心のおもむくまま、育てたいと思った作物を育てているので、果樹やキノコなども含めると200種類以上の作物を育てている。

 

また、田んぼは1反あると、無農薬(さらにはほぼ無肥料)であっても、味噌や醤油などに醸す分なども含めて4人家族が1年分いただくのに十分な量が自給できる。しかも、苗も自分たちで育てていて、使わなくなったいただきものの古い機械(田植え機や刈取機、脱穀機&天ぷら廃油トラクター)で田植えや収穫を行っているので、お金はほとんどかかっていない。

お米は麦と違って優秀。水が栄養を運んできてくるので無肥料でも収穫がある。連作が可能で、エジプトなどの古代文明が衰退し、砂漠化したのは連作が難しい「麦」に頼ったからの可能性あり。

ただし、無農薬田んぼは、夏の草取りは大変。しかもそれぞれが自分のやり方にこだわるので、家族3人で3分割して自分のやり方で草取りをしている。連れ合いはデッキブラシ、娘は人力田車、私は自作草取り器&エンジン田車。

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  • 住は、移住当初から自宅のハーフセルフビルドというか、クォーターセルフビルドのような感じで必要に追われてはじめたけれども、やればやるほどに楽しくなった。最近はパレットなどの廃材を使い、材料費を掛けないことに喜びと楽しみを見出している。

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■エネルギーの自給■

田舎での(貧乏くさい)自給的な暮らしを成功させ、快適に暮らす一番のキーポイントは「エネルギーの自給」のように思う。そしてこれがまた面白い。エネルギーが自給できると、出ていくお金が少なくなり、経済的にかなり楽になる。富裕層による搾取の輪に取り込まれずに済む、ということも大きい。

 

  • エネルギーの自給で、一番取り組みやすいのは「暖房」ではないかと思う。私たちも一番最初に手に入れたのは時計型と言われるブリキの薪ストーブで当時は2980円だった。最初に住んでいたのは小さな小屋だったので、林から枯れ枝を拾ってきて炊くだけですぐに暖かくなるしお湯は沸くし、時計型薪ストーブのおかげですっかり薪ストーブのトリコになった。

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太陽熱温水器(水道直圧式200L/300L) – 合同会社NITOCRAFT/ecoばかクリエイション

  • でも、エネルギーの自給で、一番のお勧めは「電気」の自給。

公共交通機関のない田舎ではどうしてもガソリン代がかかってしまうけれど、車庫の屋根に貼った中古のソーラーパネルで中古の電気自動車を充電して使用することで、クルマの燃料費をほぼゼロ円にできる。

その方法を少し具体的に紹介したい。ちなみに私、電気は大の苦手です。

 

ソーラーパネルを使って電気をつくるという仕組みは意外とシンプル。

→一番簡単なのは、市販のポータブル電源とソーラーパネルを組み合わせる。

→ポータブル電源を自作する。

「パネル」→「チャージコントローラ」→「バッテリー」→「インバーター」→100Vの電化製品

→電気自動車を充電するシステム。規模が少し大きくなるというだけで、これもかなりシンプル。

「中古ソーラーパネル」→「中古のパワコン(停電モード)」→中古の電気自動車」

パワコンには停電モードと言って、電力会社の送電網に繋がなくてもソーラーパネルに日があたっていれば使える交流100V用のコンセントがついている。それを利用する。できれば(製造時のエネルギーペイの終わった)中古であること大切。

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上の写真のパネルたちは製造時のエネルギーペイの終わった20年以上前のパネルだけど問題なく充電できている。最近のソーラーパネルは製造時のエネルギーペイタイムは3年未満だし、ヒ素などの毒物はもちろん、ハンダに含まれる鉛さえも含まれておらず、それになにより、廃棄によるリサイクルではなくリユースが可能。森を伐採してのメガソーラーには反対だが、太陽光発電という技術はうまく使いたいと思っている。

燃えるゴミを捨てに行くにもクルマが必要な田舎暮らしで、クルマの燃料代がゼロ円にできるのは画期的で、金稼ぎにそれほど時間を取られずに快適に暮らす上で、とても重要な要素。

 

住むところがあって、畑や田んぼが借りられると、田舎暮らしの場合、暮らしのランニングコストはかなり少なくできる。でも都会では家賃5~8万円、駐車場代2万円、電気代やガソリン代、給湯や暖房費などで20万円くらいは毎月消えてしまう。つまりは都会ではそれ以上に稼ぐ必要がある。

 

  • ヒトが生きるといことに根ざした作業は楽しくて飽きない。しかも、それを自分でやるとお金もかからない。お金がかからなければ、その分、無理に金稼ぎをしなくてもよくて、そうすると時間ができるのでその時間を使って暮らしのインフラを作る作業ができる。このスパイラルによってますます暮らしにかかるお金は少なくなる。

地球温暖化防止のための目安として、二酸化炭素の削減というけれども、何よりも効果的なのはお金を使わないですむことのように思えてきている。それだけ化石燃料を誓わずにすむということだし、お金にかかわらなくて済むと生産性のないマネーゲームだけで大金を手にしている富裕層に貢がなくていい。

 

少子高齢化で年金が足りなくなるから若いうちからお金を貯め、資産運用で増やすようにと今の日本政府は推奨するけど、資産運用=投資はそんなに簡単に受け入れていいことなのだろうか?という思いがある。 

今のようなグローバルな資本主義は株主の意向(配当)が最大限に優先されるから、効率が優先され、ものづくりなども分業化がすすんでしまう。分業化が進むとそれが何になるのかが分からず、部品の一部ではあるけれども、それがヒトを殺すための兵器にも使われてしまっている可能性がある。
そうなると戦争があると需要が増え、景気が良くなるというシステムができてしまい、世界経済が戦争に依存してしまう傾向に陥る。政府が勧める資産運用であっても軍需産業への投資につながってしまっている可能性は否定できず、それが進行してしまうと「いつもどこかで戦争がないと経済がまわらない」という酷いことになってしまいかねない。極論すると、我々が行う資産運用が、ガザやウクライナでの戦争を長引かせている可能性もあったりする。

一方、廃材で小屋を作ったり、お米を育てたり、中古パネルで中古の電気自動車を充電して使い、雨の日が続いたら外出を控えて、家でお茶を入れて本を読むという、お金に頼り過ぎない生活であれば、不労所得はなく労働対価だけだが、戦争経済に依存せずにすむ。
お金はいつか突然、紙切れになってしまう可能性も秘めているわけで、銀行にたくさん預金があることよりも、薪棚に何年分もの薪預金があることの方が安心だし、間接的とはいえ戦争にも加担せずに済むわけで、たとえ銀行に預金がなくてもその方が日々、気持ちよく暮らせるのではないか? などと思っていたりします。

以上がレジュメでした。
また、「資産運用というマネーゲーム」「ものづくりの分業化と戦争経済」については、次号dopa(ドゥーパ)158号(2024年6月7日発売)の連載ページでかなり詳しく書かせてもらいました。焚き火トーク当日は、最後にその一部を朗読させてもらいました。
自分の暮らしを自分で作ることに喜びを見いだせる人にはdopaはとても面白い雑誌だと思います。dopaも買って、読んでいただけると、うれしいです。

dopa 2024年 7月号(158号) – ドゥーパ!official website

 

中古のソーラーパネルで中古の電気自動車を走らせる方法や、蜂の巣やカマキリの卵などを誘致し虫や雑草たちに助けてもらう虫草農法、小麦のタネまきからはじめ自作石窯でパンを焼く方法などなど、貧乏くさいけれどもヒトが生きることwp楽しむノウハウを満載した(つもりの)、拙著「自給知足な暮らし方」(税込1980円)、虫草農園にまだまだたくさん在庫があります(版元やamazonでは売り切れたけれど)。
よければこちらも手にしていただけるとありがたいです。

musikusa.stores.jp


長い文章、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。