この「ひろゆき」っていう人、面白いことを言っているつもりなんだろうけど、でもちょっと違うんじゃないかなぁ。
ヒトをはじめとして、「種」が淘汰による変化で環境変化に対応しようとする、というのはたぶん事実。
特に細胞劣化がなく不老不死である生物、つまりは細胞分裂や出芽で増殖し、「雌雄」や「(寿命による)死」がなく、突然変異でしか環境変化に対処できない微生物やウイルスなどはたぶんそれでしか対応できないのだと思う。
自然の中に暮らしていると実感するんだけど、逆に、哺乳類や虫などは、自然の生態系のバランスの中で生きるために、雌雄という2つの遺伝子を混ぜることで遺伝子の多様化を図り、個体の「死」によって遺伝子を変異されることが主流の変異方法だったりします。
そうした生物たちにとっては、「種」の中で「個」の多様性が保たれているということが大切なベースであり、それがあるから、あらゆる種類の環境変化が起こったときに、それに対応できるということのように思うのです。
彼の考え方の中には、自然の生態系の中で生きる生物にはなぜ「雌雄」と「死」ががあるのか? という視点が欠如していて、たとえば、病気に強くて、美味しくて、収量が多くて、虫にも食われず、簡単に育てることができる(自然の生態系の中でひとり勝ちしてしまうような)万能野菜がなぜこれまで生まれてこなかったのか? を考えれば分かることのようにも思えます。
ついでにいうとヒトの都合で、遺伝子の組み換えを行うことでそうした生物をつくり出してしまうことが現代では可能になってしまい、数億年という時間を経て作り出された自然の生態系を乱し壊してしまうことで、生物すべての全滅にもつながる大変危険なことのようにも思っています。
そんなわけで遺伝子組み換え作物は、ヒトへの毒性という観点だけでなく、生態系の秩序を根本から壊してしまう可能性が高い、ということで問題にされるべきことのように思っているのだけどそんな考えの人はあまりいないようです。
単純化して言ってしまうと、もしもヒトが、頭の回転が早いことに特化して進化してしまったら、それでどうにも対応できない環境の変化、たとえば極端な例ですが、気温が急上昇し、その高温に対応できない人は死んでしまう、といった急激な環境変化が起きたときには対応できず全滅してしまうわけです。
でもこのひろゆきというヒトの発想力はある意味ユニークで、ヒトという「種」の中の「個」の多様性といことではこんな個体も必要なのかも知れません。
淘汰による変異の方向性で環境変化に追従するには、そのベースとして「個」としての遺伝子の多様性が必要なのではないか? という話でした。