夏にはうっそうとしてしまう林床に、今年もふきのとうがたくさん顔を出してくれています。他の植物たちが芽吹く前のこのときを狙って、地表近くに必死に顔を出すふきのとうに敬意を表しながらも、ムシャムシャいただいています。
ところで、アメリカを中心に「遺伝子組み替え作物の栽培が急速に増えている」と言われているのに、買い物の際に目にする製品には「遺伝子組み換え作物使用」の表記は案外少ないような気がしませんか? それにはこんなカラクリがあるのです。
たとえば、製品の原材料欄に記載されている原料の中に、たとえ遺伝子組み替え原料が入っていたとしても、それが3番目までに表示されるもの(原材料の重量比で三番目までのもの)でなければ、遺伝子組み換え原料を使っていることの表示義務がないのだそうです。
また「ぶどう糖果糖液糖」など、加糖のために添加される糖類の多くは遺伝子組み換えをされた原料を使って作られているにもかかわらず、「これらの糖類を作る過程で遺伝子組み換えの成分は死んでしまうので表示はしていない」という企業側の論理が認められてしまっているとのことです(しかしこれは逆に推測すると、遺伝子組み換え成分というものがあって、それが死んでいなかった場合は有害であると認めていることにならないのだろうか?)。
遺伝子組み換え原料を使っている場合は「それらを必ずすべて表示しなければいけない」と思います。その上で、遺伝子組み換え作物をどうするのか? 企業や資本家の代弁者である政治家には判断できずにいるわけですから、少なくとも消費者に判断させるべきです。
遺伝子組み換え作物にはそれ自身に毒性がある可能性の他にも、大きな問題があります。どちらかというとそちらの問題のほうがはるかに大きな問題のように私には思えます。遺伝子組み換え作物では、企業の論理によって自分たちの都合のいいように生物の遺伝子を組み換えてしまっているわけですから、そうした生物が自然界に流出してしまうことによる影響をどう捉えるか?という問題です。
ヒトや企業の都合のいいように遺伝子を組み替えてしまうということは、微妙なバランスの上に成り立っている現在のこの地球の生態系を破壊してしまう可能性が非常に高いように思います。
たとえば、ウリハムシに食害されにくい遺伝子や、あるいは細胞液を不凍化する能力にたけた耐寒性に優れた植物の遺伝子をスイカに組み込むことができたとします。すると、冬でも温室なし加温なしで無農薬でスイカが生産できる可能性があるわけですが、一方でこの遺伝子が同じウリ科のアレチウリやカボチャなどの遺伝子と交雑してしまったら、冬の雑木林の林床はこれらの植物に覆われてしまうことになります。冒頭で紹介したふきのとうを始め、まだ他の植物が芽吹く前の一瞬を狙って花を咲かせるアブラナ科の植物なども生育できなくなってしまいます。
種苗交換会のときにも書いたことですが、「丈夫で育てやすくて」「美味しくて」「保存性がいい」というカボチャのタネは不思議なことに存在し得ないのです。種の遺伝子は不思議なことに多様性拡散の方向に広がっていて、どういうわけかひとつの強い遺伝子(この場合はヒトにとって都合のいい遺伝子)が現われて、他を凌駕するというようなことが(これまでは)なかったのです。それによってさまざまな環境に適応できる多様性を負った生態系が形作られこれまではそれによってバランスが保ってきていたのです。
複雑にからみあった自然界の生態系のコントロールは、核分裂や核融合の制御以上にはるかに難しく、ヒトはこれらをコントロールすることができません。原発と共に遺伝子組み換え生物が自然界に拡散してしまうことは、ヒトを含めた生物滅亡への道になってしまうと思うのです。ふきのとうには独特の苦味があって、それでこそ生態系のバランスは保たれているのだなぁ、と思いながら、ちょっとほろ苦い思いと共に、ふきのとうをありがたく…いただいています。