Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


フリーなメイソンリーストーブ?

 フリーメイソンには興味がないけれど、フリーなメイソンリー、ストーブにはとても興味があります。
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http://www.inspirationgreen.com/masonry-wood-cookstoves.html
 上のURLのサイトは、ロケットストーブの本の訳者でもあり、「私はストーブだ!in広島」の首謀者でもある、石岡さんから教えてもらったサイト。
 そしてこのサイトが素晴らしいのです。メイソンリー(石積みタイプ)であれば、自由な発想のもと、セルフビルドすることで費用も抑えてフリーに近い感覚で組み上げることができます。
 フリーメーソンと言う組織も、元々の出発点は「石積み職人たちの組合」だったと言われています。まあ、それはどうでもいいけど、石組みや石積みは奥が深く、芸術的で哲学的な作業であるようにも思います。
 薪を燃料とするメイソンリーなクッキングストーブ、いろいろと夢が広がりますね。レンガですべてを作ろとするとお金がかかりそうだけれど、土や自然石、石灰やセメント、それにコンクリートブロックやコンクリートガラなんかをうまく使いながら、もう少し有機的なデザインのものが作れないだろうか……なんて考えていると妄想はどんどん広がってしまいます。

↑これは穂高養生園のロケットマスヒーター。この美しい曲線、素晴らしよなぁ。

 仲間が集まり、自作ストーブについて夢を語り合うのに絶好のイベントがこの秋、広島であります。
「私はストーブだ!in広島」の第二回目が早くも今年の秋に行われるとのことです。前回はゲストを呼んでの公演との併催で少し盛りだくさんすぎた?こともあってか、今回はキャンプインにより実際にストーブを使いながら、参加者でじっくり情報交換をしようとのことです。素敵な時間になりそうですね。

↑↓チラシはクリックすると少し大きくなります。


 ところで……自作ストーブを初めとした適正技術のイベントに「私はストーブだ!」というちょっと過激で風変わりな名前をつけられているのですが、名付けの親である韓国のキム・ソンウォン(Seongwon Kim)さんにより、なぜ「私はストーブだ!」なのか? そのいわれが公開され、それがまた素晴らしいのでここで紹介させていただきます。

 ひとつには、「私が(薪)ストーブである」ということは、つまり、電気や電力会社から自立した存在である、ということ。

 ふたつ目は、「私は(輻射熱に優れた)ストーブである」ということでもあり、周囲の人たちを温めることができる存在であるということ。

 そして三つ目は、「私はストーブ(=適正技術)である」ということは、私自身が「技術そのもの」であるということ。

 特に三つ目については、お金が最優位になってしまっている現在の社会構造ではあるけれど、でも実は、素晴らしいのは人が生み出す作業や技術であって、お金やモノではない。現在の社会構造の中にあって失われてしまいつつある「適正技術」を取り戻し、「適正技術を抱きしめなおす」ということだそうです。
 素晴らしいでしょ! 「私はストーブだ!」というネーミング、このちょっと変わった名前がますます、好きになってしまったのでした。