自由の森の長い一日……「公開研」

 娘が卒業してから初めて、久しぶりに自由の森学園に行きました。そして久しぶりに聴いたケサラの大合唱に目をウルウルさせ、生徒の若いエネルギーと教員たちの(裏にまわりながらの)細やかな気づかいに胸を熱くしてきました。やっぱりいいんだよなぁ、自由の森……。
 そして今回もいつも通り、朝から晩までとにかく盛りだくさんの一日でした。しかも今回の最初のミッションは、なんと放射線量の測定。文科省の航空機モニタリングの結果を見ると、東京や埼玉の西部地域には線量が少し高め、という地域が点在していてそれが少し気になっていたのでした。そこで周辺地域との比較のため、GPS付きGMカウンターで広範囲にわたって測定をしてみたのでした。

↑クリックすると大きくなります。左端の連続した最後が自由の森学園。途中、データが途切れているところは圏央道のトンネル。標準的なバックグラウンドが160cpmという(比較的感度の高い)測定機で測った結果が上記の写真です。山梨では、航空機モニタリングで水色に示されている地点では(400cpmオーバーという)ちょっと気になる線量の地域が見つかったりしたのですが、とりあえず、ジモリ周辺ではそのようなホットスポットは見つかりませんでした。もっとも山梨のホットスポットも自然放射線によるものだったのですが……。
 今回は自由の森で公開教育研究会と呼ばれる催しがあり、それに参加させていただきました。このイベントは二日間にわたって行われ、午前中はジモリの授業を教育関係者をはじめ広く一般の方々に見ていただき、その後、授業に関して生徒共に検討会を行い、午後からは一日目は池田香代子さんによる講演、二日目はそれぞれのテーマに分かれての分科会が行われました。
 池田さんの講演、とても素晴らしかったようです。池田さんは講演の中で(選挙権のない)若い人たちに対して何度も謝られ、講演が終わったあとも生徒からの質問や対話にいつまでもていねいに応えていたといいます。
 池田香代子さんのブログはどれも秀逸だけど、武藤類子さんのスピーチを受けて書かれたこのブログ「二度とまつろうまいぞ東北の鬼」、私たちの中に「芭蕉的なまなざし」があるとの視点が斬新でハッとさせられました。
 自森での講演の日の夜も、真夜中だというのに、ツイッターでその感動の様子が飛び交っていました。わたなべもこの講演を拝聴するのを楽しみにしていたのに、その頃は写真を整理しながら必死にレジュメを書いていて、結局終わったのは当日の朝の4時でした……。それから超小型太陽光発電所などをクルマに積み込み、ちょこっと仮眠してから(なんと、ありがたいことに娘の運転で)ジモリに向かったのでした。
 二日目の分科会も面白そうなテーマがたくさんありました。高価なベクレルモニターを導入することをいち早く決め(入荷に少し時間が掛かってしまったようですが)「日本一まっとうな学食」というタイトルの本で紹介されているジモリ食生活部による「食をあずかることは、命をあずかること」という講演や、卒業生を呼んで対話形式で進める「生き方としての進路」という分科会。あるいは「生徒たちによる被災地支援の分科会と報告会」、中でも生徒が立ち上げた「私たち、ひばくなう!」という分科会には、遠方から大学の先生も駆けつけてくれ、活発な意見交換が行われたようです。わたなべもそちらに行きたかったのですが、今回は体験学習部のお招きで「地給知足的な暮らし方」というテーマで別の分科会で話をさせていただきました。ひっそりとやりたかったので宣伝せずにいたのに、思いのほかたくさんのひとに来ていただき、しかもかなり遠くからも来ていただきありがとうございました(ひょっとして飛行機の方もいた?)。時間を2時間以上も用意していただいたのに最後は時間がなくなってしまい、慣れないこととはいえ、ぬかくどやガイガーカウンターなどは展示しただけになってしまい失礼しました。
 それともうひとつ、これは娘に指摘されたのですが、東電電力中央研究所という組織のことをひどくとがめるような話をしました。もしも電力会社にお勤めの方がいらしたら気分を悪くされたのではないかと思います。ただひとこと釈明させていただくと、今回の話は、そこで働く個人の方に向けた話ではなく、弱者を犠牲にしてでも自分たちの利益を優先させてしまう組織や考え方に対しての話でした。

 分科会のあと、体育館で生徒たちによる合唱があり、最後は高校校長の話で公開研は終わりました。校長の鬼沢さんの話は、ジモリ始まって以来初めて出したという新聞の一面広告のことでした。そこには(多くの生徒が自分で作った服を着ている)卒業式の写真と共に、谷川俊太郎の「生きる」という詩が掲載されていました。
 鬼沢さんは言います。「学校の宣伝」という目的がまるでなかった、というわけではないけれど、311以降のこのどう考えたらいいのか途方に暮れてしまうような社会の中で、自由の森学園としてこの世の中に向けて「生きる!」ということをメッセージとして伝えたかった。なぜなら、教育の目的の一番の根本は、これだから……。この学校では校長まで、胸を熱くするようなことを言うのです。
 自由の森では「生きる」というこの詩に、創立当時の教員である武義和が曲をつけ、合唱のたびに必ず歌われます。だから自由の森の卒業生は、この詩を読むとき、自然にあのジモリの合唱のことを思い出すのでした。

YouTubeで「生きる」を探したのですが見つからないので「ケサラ」を貼ります。制服も校歌もない学校で、同じ学校の仲間というつながりを確認するかのように歌われているのが「ケサラ」。もちろん歌いたくなければ歌わないのも自由。授業に関してもそうですが教員は強制をしません。そうした環境で自分をどうやってコントロールしていくのか? そのあたりが自由の厳しいところでもあるわけですが、だからこそ、こんなに伸び伸びとした合唱がつくられる、とも言えるのかもしれません。
 でも面白いことに結局みんな歌いたくなってしまうだよなぁ。入学した頃は「絶対合唱なんて出ない」と言っていた子が、高3の卒業式では涙を流しながら大声でケサラを歌っていたりします……。そのあたりもまた若い感性は純粋で、素敵だったりするのですが。ちなみに、右下の方で少々はしゃいでいるのは中学生の男子たち(笑)。6年近くも年の違う中学生と高校生が、そして男子と女子が、みんな一緒に、声を合わせて歌うのがまたいいんだよなぁ。