完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


野良鍛冶の「土削り」

 不耕起栽培のタネまきでは「ノコギリ鎌」で草を削り、その後、表土も少し削って、そこにタネを蒔きます。こうしたときノコギリ鎌はとても便利なのですが、でもなぜかどうも好きになれずにおりました。ノコギリ鎌は使い捨てが前提で、研ぎにくいというのがその理由です。でも、いろいろやってみたら、ノコギリ鎌も研ぐことはできることを発見しました。ノコギリの目立てヤスリを使って歯をひとつひとつ研ぐ方法もありますが、それだと日が暮れてしまいます。ノコギリ鎌の歯はノコギリと同じようにひとつひとつの歯の断面は台形(または三角形)をしています。そこでこの歯の下側(裏側)を研ぐとひとつひとつの歯についていっぺんに刃をつけることができ、切れ味が回復します。

↑刃裏は刃が二段になっているので、刃先の写真で白くなっている部分を研ぎます。
 でもこの方法で何度も研いでいると、そのうち歯はなくなり、刃だけになってしまいます。その後は普通の鎌のようにして使えば、ひと粒で二度おいしいではないか!という人もいるかもしれませんが、でもノコギリ鎌は先端部だけに特殊な焼入れをしているものが多く、歯がなくなってくると普通の鎌としても切れなくなってくるのです。そんなわけでなんとなくノコギリ鎌は使い捨てを前提に作られているような気がして、それで好きになれないのかもしれません。
 三日ほど前、友人で野良鍛冶の田村さんから、定形外の郵便物が届きました。中から手打ちの「土削り(つちけずり」が出てきました。以前、お会いしたとき、ノコギリ鎌のことを話し、土削りでもう少し刃のアールが強いものがあると、ノコギリ鎌のような使い方ができて、良さそうなのだけれどと、話したことを覚えていてくれて、試作品を打ってくれたのでした。

今回は試作品ということなので、刃面のキズ取りや研磨など、仕上げの工程をかなり省略しています……と手紙にありましたが、でもそれが逆に、野鍛冶ならでは味になっているようにも思えます。材料は、使い古しのヤスリ、または自動車の板バネが使われているものと思われます。焼き入れのための燃料も自分で焼いた炭だったりするのです。刃のアールが普通の土削りよりもきついので、ノコギリ鎌のように草の茎をとらえやすい構造です。刃は二段刃で、土を削ることを考慮して二段目は40〜45度にしてあります、とのこと。

↓さっそく使ってみました。玄関の近くにイワダレゾウ(岩垂れ草=リッピア)が植えてあるのですが、メヒシバやオオバコが茂ってくると負けてしまいます。そこでリッピアが土を覆うまで人がちょっと加勢してあげます。

↓イワダレゾウの間から生えているオオバコの根元あたりに刃を入れ、スッとスライドさせると気持ちよく切れてくれます。刃先が効くので、ニンジンやネギの苗の間の草取りにも、良さそうです。

↓いつの間にか、イワダレソウに覆いかぶさっていたオオバコもメヒシバもなくなってしまいました。いい道具を手にすると、それだけで作業が楽しくなります。

畑の畝に空きスペースを見つけては、野菜が少なくなる冬に向けて、ターサイやチンゲン菜、野良坊なんかを蒔きました。土削りでシャッシャッシャッと草と表土削って、そこにパラパラとタネを蒔き、土削りでシャカシャカと土を混ぜ、足で踏みしめます。今の時期、空きスペースを見つけてたくさん蒔けば蒔くほど、冬の食べ残しが増え、春、黄色い菜の花が畑のアチコチに咲き、ウキウキした春の気分を盛り上げてくれるのです。