いま発売中のOld-timer誌に、いまから28年前に発行された「ストリートクラシックス」というMOOKの特別編集版という付録が付いています。
いまでは考えられないことだけど、このムックが出た頃は、けっこうまじめに働いていました。引きこもりがちな今の姿しか知らないひとからすると信じられないかもしれないけれど、この頃は三誌もかけもちで仕事をしていたいので、毎日のように各地に取材にでかけ、写真を撮り記事を書き、レイアウトの粗割りを作り、印刷会社で徹夜して出張校正をしていたりしました。
でも、その頃から協調性がなかったので、取材にはひとりで行っていたし、編集会議をへてみんなで雑誌を作るというのがどうも苦手で、自分の好きな分野でやりたいようにやりたくて企画書を書き、八重洲出版の局長に懇願し、試しに作らせてもらったのが、この「ストリートクラシックス」というムックでした。
表紙も自分で撮ったし、巻頭カラーはもちろん、後ろの方のページもペンネームを使ったりしながら、かなりの部分をひとりで取材し書いたりしていたのですが、調子に乗りすぎて体調を崩したりしたこともあり(痔を悪化させて緊急入院なんてこともありました)、予定していた日までにページが埋まらず困っていたりしていました。
もう時効だと思って白状するけど、ひどいときは昔のCARBOY誌の記事を転載してページを埋めたりもしました(この特別付録にあるS30Z大修理というモノクロ記事は実は平綴じの頃のCARBOY誌の記事からの転載だったりします)。
そんないい加減な作りだったにもかかわらず、なぜか案外売れたので、「ストリートクラシックス2」を作らせてもらえることになり、それもまあまあ売れたので、季刊で発行させてもらえることになり、その後は「Old-timer」と名前を変え(こちらの命名は八重洲出版の橋本局長)現在に至っています。
⇧旧車のことを「Old-timer」と表現したのは、「ストリートクラッシクス」が最初だったように思います。
⇧若かったなぁ。まだこの頃は八ヶ岳山麓に住むことができるようになるとは思ってもいなくて、でもフェアレディの後ろに、粗大ごみから拾った古い革のトランクを付けて、このあたりをよく旅していました。この写真の場所は、いま住んでいる家の比較的近くで、そこを通るたびにこの写真を撮ったときのことを思い出します。この頃はまだ自撮り棒なんてなくて、三脚を据え置きピンをして、セルフタイマーが終わるまでに、慌てて定位置に座り撮った自撮り写真です(誰かに見られていたら超恥ずかしい(笑))。
⇧表紙は、自分のフェアレディと友達のエスハチが向かい合って会話しているようなこの写真。これだったら問題ないだろうと思って使ったのですが、雑誌が出てから友達から、「あ、あのクルマ、似てるけど俺のクルマじゃないよ」って言われ焦りました。つまりは無断で知らない人のクルマを勝手に表紙に使ってしまったのですが、その後、このエスのオーナーの方から連絡があり問題解決。いいオーナーの方で良かった、などという冷や汗タラタラのエピソードがたくさんあります。
⇧室内に水たまりがあり、ボウフラが湧いていたクズ鉄からクルマを蘇らせるという記事。CARBOY誌で連載させてもらっていた「オイルまみれのメモランダム」というサビ取りエッセー?再編記事でもありました。
⇧締切に間に合わず、昔のCARBOY誌の記事をそのまま転載しページを埋めたり……Old-timerになってからの話だけど、体調を崩してしまいどうしても締切に間に合わず、予定していた発行日に雑誌が出せなくて、広告を出稿してくれていた会社に橋本局長が謝りに行ってくれていたり(後で知りました)、いろいろ迷惑を掛けたなぁ。
⇧自分の愛車のことだから、このあたりはスラスラスイスイ……だったのですが、Old-timerも数号出ると、そのうち持ちネタを使い果たし……。
⇧家族、友達、知り合い、総出で出演いただきました。ヒマがあると第三京浜、港北インター近くにあるスポーツカーサービスに入り浸り、ネタを探していました。関さん、お元気だろうか?
⇧ふふ、この頃はまだタバコを吸っていたのか。若いなぁ。
この頃、ウチにはこのクルマしかなくて、西麻布の交差点近くにかみさんのアトリエがあり、みんなが見ている中、彼女を乗せ、カッコつけてタイヤを軋ませて発進したら、仮止め中だったペラシャフトのボルトがねじ切れたなんていう恥ずかしい思いをしたこともありました。
ほかにも、走っている最中に車輪が車軸ごと取れたり、渋滞中にエンジンルームから火を吹き、周りのクルマの人たちが車を捨てて逃げだしたり……いろいろあったなぁ。
娘が生まれることになり、屋根のないこんなポンコツに赤ちゃんを乗せるのは不憫、ということで手に入れた4ドアセダンがスカイライン2000GTB(S54B)の不動車だったのでした。
このクルマのときは、レストアするための車庫を廃材で作るところからはじめ、エンジンのオーバーホールはもちろん、シリンダーのボーリングやヘッドの面研も研磨機を作って自分で行い、動くようになって車検がとれるまで20年以上もレストア雑記を連載させてもらいました。
「先日、生まれたばかり」だと思っていたのに、スカイラインが動くようになった頃には娘はすでに免許を持っていて、なんと4ドアセダンには興味がなく、屋根はもちろん、ドアもフロントウインドウさえもないクルマを好んで乗りまわしていました。
⇧色眼鏡などかけてカッコつけてるけど、ちゃんと初心者マークが貼ってあるところがカワイイ。
ずいぶん昔のことのようにも思えるけど、思い返してみると、あの頃からきょうまでは「あっ」という間。
時間の流れは予想以上に早いです。
一度きりの人生、せっかくだからみなさん、思いっきり楽しみましょう!