今月は19日の朝8時47分が新月です。海の生物たちと同様、地上の植物たちも月による引力の差異を感じることができるようなのです。そして2月の新月は重要。この日を境にその後は、春に向けて植物たちは根から一気に水を吸い上げ始めるように感じられます。
そんなわけで、今月の18日までにできるだけ、木の伐採、果樹の剪定などの作業を終えておきたい、と思い、このところは、伐採&剪定、薪作りにいそしんでいます。
とはいっても「楽しみながら」が基本ではありますが。
↑このところ大活躍の360㏄のジムニー。足が長くてストロークがあり、車幅が細いので、軽トラでは入れない林の中にも入って行くことができたりします。副変速機付きなので、板バネが反り返ってしまうほど荷を満載にしても、360㏄なのに踏破力にはかなりのものがあります。この場所に行く途中にも、一箇所、土手があるのですが、どうにかクリア!
↑チェーンソーがあれば木を伐採するのは簡単なのですが、その後の片付けに手間がかかります、というか、そこに手間をかけることができるのが地給知足な暮らし方であり、楽しみだったりもするのですが。
↑片付けに必要な道具は、ナタと剪定鋏と、太枝切り鋏。特に便利なのが太枝切りで、ナタだと刃を数回振り下ろさないと切れないような枝も、太枝切りを使うとワンアクションで切ることができます(しかもブルーワーカーがなくても胸筋の筋トレができる?)。作業効率としてはチェーンソーを使うのが一番早いのですが、化石燃料が必要だし、音がうるさくせわしないということもあって、枝の整理片付けの際にはこれらの手道具を愛用しています。
↑倒した木は「焚き付け用の細枝」、「粗朶(そだ)」、「シイタケ植菌用の中枝」、「薪用太枝」それに「ツル類」の5種類に分けて片付けます。
↑粗朶はテーブルソーを使って切っています。写真の向かって左側(軽トラのうしろあたり)に立って、ネコがいっぱいになるまでガンガン切っていきます。このときは音のうるささは我慢。テーブルソーだと、小枝はチュン、チュン、チュン、という感じで切れて、チェーンソーを使うよりもはるかに早いのですが、その分、危険性も増します。この種の回転系工具を使用する際は、マフラー&長髪は厳禁。メガネ&帽子は必携。だらだら長時間作業をせず、ネコがいっぱいになるまでとか、気をはっている時間にメリハリをつけることも大切なように思います。
↑写真のような細枝も、束ねて屋根下に保管します。主に焚きつけとして使用するのですが、コナラやクヌギの細枝は思いのほか火力があって、炊飯などはこのあたりの細枝だけでどうにかなったりもします。実際インドの砂漠の村などでは、薪が貴重品で驚くほどわずかな細枝でビリヤニを焚いたり、チャパティを焼いたり、チャイを入れてくれたりします。
↑細枝を束ねるロープには、クズのつるを利用しています。クズはデンプン質が多くて虫が入りやすく、カゴを編んだりするのにはあまり向いていないのですが、生のときには丈夫でしなやかなので、ロープの代わりに使うには便利だったりします。ラベルとして作った日付を入れておき、1年くらい乾かしてから使います。
↑ツルは主にアオツヅラフジを集め、採取しています。バスケタリーでは、アケビやカズラ類などが有名ですが、実際に編んでみて一番使いやすいのは、折れにくいアオツヅラフジのように思います。ツル植物は林辺の木に多く絡むのですが、オオツヅラフジ以外のツルを根本から切っておくと、効率よくアオツヅラフジを集めることができます。アオツヅラフジは枝先の細い部分が冬でも緑色をしていることで見分けることができます。
↑日が暮れると共に、暖かい家の中でつる編み開始。薪のはぜる音を聞きながらのバスケタリーは冬の夜の楽しみのひとつなのですが、犬のベリーにとっては退屈な夕べになります。
↑カゴ編みは時間を忘れ、犬の存在も忘れ去られます。カゴ編みは性格が出ます。彼女は結構、几帳面。
↑夜もだいぶ更けた頃、やっと形になってきました。ベリーはあきらめ、グッスリ夢の中。
↑そして完成。
↑こちらはいまから10年前の2005年に作った畑用の収穫カゴ。持ち手が取れたり、ときどき壊れたりもしたのですが、アオツヅラフジはどこにでも生えているので、その都度修理して、いつまでも使うことができます。今回も補修を終え、かなり頑丈なカゴになりました。
↑こちらもその時(2005年)に作った植木バサミ入れ。
↑裏には針金で作ったフックがあって、ベルトやポケットに引っ掛けて使います。
↑ガラガラだった薪棚にもやっと少し、薪が溜まり始めました。美味しいお米とお味噌とお醤油、それにカボチャや根菜類、ジャムやトマトソースなどの保存食、そして薪貯金があれば、たとえ銀行に貯金がなくても、あるいは電気がなくても、そして一ヶ月くらい雪で閉じ込められたとしても、たぶんどうにか生きていける……、そしてその安心感がもしかしたら、暮らしを楽しむことのできるベースになっているのかもしれないなぁ、などと思うのでした。