Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


ならずもの国家とその指導者たち


 イラク北朝鮮に対して「ならずもの国家(Rogue State)」と言うことば使ったのはブッシュだけど、この表をみていると、なんだか、「ならずもの国家」と「平和を希求する国々」との対比図のようにも見えてきます。
 驚いたことに、ことしの4月に開かれた核不拡散条約準備会議で安倍政権は「核の非人道性を非難する共同声明」への署名を拒否しました。その指示者である彼がきょう、広島でどんな挨拶をするのか? 多くの人に注目して欲しいように思います。



安倍首相のあいさつ文を入手したので、追記します。

(前略:最後の部分のみ)
 核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に、また、恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、私のごあいさつとします。
平成25年8月6日 内閣総理大臣安倍晋三

だそうです。
「核の非人道性を非難する共同声明」への署名を拒否しておきながらも、TPOにあわせこれくらいシャーシャーとその場にあわせたあいさつができないと、選挙には勝てないし、国民をだますことはできない、ということなのですね。

 このあいさつを受けたアメリカ映画界の巨匠オリバー・ストーンのスピーチの動画があるので、そのURLを貼っておきます。短い動画なのでぜひどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=Gj1OaP83vNc&feature=youtu.be



 それらの一方で、広島市長のあいさつが素晴らしかったので追記します。

平和宣言     広島市長 松井 一實

「あの日」から68年目の朝が巡ってきました。1945年8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾によりその全てを消し去られた家族がいます。「無事、男の子を出産して、家族みんなで祝っているちょうどその時、原爆が炸裂(さくれつ)。無情にも喜びと希望が、新しい『生命(いのち)』とともに一瞬にして消え去ってしまいました。」

幼くして家族を奪われ、辛うじて生き延びた原爆孤児がいます。苦難と孤独、病に耐えながら生き、生涯を通じ家族を持てず、孤老となった被爆者。「生きていてよかったと思うことは一度もなかった。」と長年にわたる塗炭(とたん)の苦しみを振り返り、深い傷跡は今も消えることはありません。

生後8か月で被爆し、差別や偏見に苦しめられた女性もいます。その女性は結婚はしたものの1か月後、被爆者健康手帳を持っていることを知った途端、優しかった義母に「『あんたー、被爆しとるんねー、被爆した嫁はいらん、すぐ出て行けー。』と離婚させられました。」放射線の恐怖は、時に、人間の醜さや残忍さを引き出し、謂(いわ)れのない風評によって、結婚や就職、出産という人生の節目節目で、多くの被爆者を苦しめてきました。

無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛(さいな)み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり「絶対悪」です。原爆の地獄を知る被爆者は、その「絶対悪」に挑んできています。

辛く厳しい境遇の中で、被爆者は、怒りや憎しみ、悲しみなど様々な感情と葛藤(かっとう)し続けてきました。後障害に苦しみ、「健康が欲しい。人並みの健康を下さい。」と何度も涙する中で、自らが悲惨な体験をしたからこそ、ほかの誰も「私のような残酷な目にあわせてはならない。」と考えるようになってきました。被爆当時14歳の男性は訴えます。「地球を愛し、人々を愛する気持ちを世界の人々が共有するならば戦争を避けることは決して夢ではない。」

被爆者は平均年齢が78歳を超えた今も、平和への思いを訴え続け、世界の人々が、その思いを共有し、進むべき道を正しく選択するよう願っています。私たちは苦しみや悲しみを乗り越えてきた多くの被爆者の願いに応え、核兵器廃絶に取り組むための原動力とならねばなりません。

そのために、広島市は、平和市長会議を構成する5,700を超える加盟都市とともに、国連や志を同じくするNGOなどと連携して、2020年までの核兵器廃絶をめざし、核兵器禁止条約の早期実現に全力を尽くします。

世界の為政者の皆さん、いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。威嚇によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか。広島を訪れ、被爆者の思いに接し、過去にとらわれず人類の未来を見据えて、信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか。ヒロシマは、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する地であると同時に、人類の進むべき道を示す地でもあります。また、北東アジアの平和と安定を考えるとき、北朝鮮の非核化と北東アジアにおける非核兵器地帯の創設に向けた関係国の更なる努力が不可欠です。

今、核兵器の非人道性を踏まえ、その廃絶を訴える国が着実に増加してきています。また、米国のオバマ大統領は核兵器の追加削減交渉をロシアに呼び掛け、核軍縮の決意を表明しました。そうした中、日本政府が進めているインドとの原子力協定交渉は、良好な経済関係の構築に役立つとしても、核兵器を廃絶する上では障害となりかねません。ヒロシマは、日本政府が核兵器廃絶をめざす国々との連携を強化することを求めます。そして、来年春に広島で開催される「軍縮・不拡散イニシアティブ」外相会合においては、NPT体制の堅持・強化を先導する役割を果たしていただきたい。また、国内外の被爆者の高齢化は着実に進んでいます。被爆者や黒い雨体験者の実態に応じた支援策の充実や「黒い雨降雨地域」の拡大を引き続き要請します。

この夏も、東日本では大震災や原発事故の影響に苦しみながら故郷の再生に向けた懸命な努力が続いています。復興の困難を知る広島市民は被災者の皆さんの思いに寄り添い、応援し続けます。そして、日本政府が国民の暮らしと安全を最優先にした責任あるエネルギー政策を早期に構築し、実行することを強く求めます。

私たちは、改めてここに68年間の先人の努力に思いを致し、「絶対悪」である核兵器の廃絶と平和な世界の実現に向け力を尽くすことを誓い、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます。
2013年8月6日

 こうして核によって命を奪われ傷ついた人たちがいる一方で、たとえば福島の事故を起こしたときの責任者たちはいまどうしているか?というと、

勝俣恒久会長→日本原子力発電社外取締役に再任(現在家族と共に海外在住)
清水正孝社長→関連会社・富士石油社外取締役天下り(現在家族と共に海外在住)
武井優副社長→関連会社・アラビア石油の社外監査役天下り(現在家族と共に海外在住)
宮本史昭常務→関連会社・日本フィールドエンジニアリングの社長に天下り(現在家族と共に海外在住)
木村滋取締役→関連会社・電気事業連合会の副会長に再任 (現在家族と共に海外在住)
藤原万喜夫監査役→関連会社・関電工の社外監査役に再任 (現在家族と共に海外在住)
だそうです。


 で、実は、広島に原爆が落とされたあの戦争のあとも同じでした。

 東条内閣の閣僚は戦犯として巣鴨に収容されていたのですが、なぜかその後、釈放された人物がいます。この頃アメリカは日本を「共産主義に対する防波堤」と位置づけ、それに利用するために旧体制側の人物を復権させ、戦犯不起訴としたと言われています。彼らはアメリカとなんらかの司法取引をした疑いがあります。
 東條ら7名の処刑の翌日の1948年(昭和23年)12月24日に彼は釈放されました。そしてその後、彼は日本の総理大臣に。その彼、岸の孫が安倍晋三です。もしかしたらいまだに何らかの圧力を掛けられているのかも、と思うとちょっと可哀相な気もしますが、彼の振る舞いを見ているとそうしたところはまったく感じられません。
 麻生太郎のおじいちゃんがあのバカヤロー解散の吉田茂だったり、このあたりのところ大切だし、面白いところだと思うのですが、なぜか現在の日本の学校では詳しく教えないんだよなぁ……。