Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


学ぶことの楽しさを、知っている、ということ。

 きょうは、諏訪の養護学校をお訪ねしました。一緒に石釜でピザを焼いたり、小麦の育て方を教えたり(でも、彼ら彼女らの畑のほうが去年は豊作だった)、遠足で遊びに来てもらったり……きょうは学校で、そんな彼ら彼女らの学習発表会が行われていました。
 最近はどうも涙もろくなってしまって困ります。生徒たちの合唱を聞いていたら、胸がジーンと熱くなって涙があふれてしまったのでした。
 たしかに……中には笑顔を作れない子もいます。でも、その子の心が、喜んでいるのか沈んでいるのか? それには伝わってくるものがあってなんとなく分かるものです。
 5月に修学旅行で沖縄に行くので、いまはその事前学習をやっているとのことでした。その成果として、その場でゴーヤチャンプルを作ってもらい、いただきました。ぷーんと鰹節の香りが効いたとても美味しいゴーヤーチャンプルでした。自分たちで育てた小麦を、ていねいに石臼で挽いて作ったチンスコウというお菓子もいただきました。
 歴史の発表でははじめて知ったこともありました。「江戸時代に薩摩藩に攻められるまで、琉球王国の人たちはそれまで武器を持って闘ったことがなかった……」そうです。そんな地域に今はたくさんの基地が押し付けられているわけですね。
 沖縄の美ら海水族館には成長すると体長10mを越すジンベイザメがいるとのこと。そして黒いビニール袋を使ってそのジンベイザメの原寸大の模型が作られていました。空気を入れると見る見る内に大きくなります。体長10メートルの魚と言葉で言われてもピンとこないのですが、でも実物大の模型を見ると、その大きさに圧倒されます。そしてさらに、こうしたものを作ろうと考えた感性の鋭さにも圧倒されました。
 発表を見せてもらっているうちに、娘が通っている自由の森学園とどこか似ていると思いが頭に浮かびました。それは、なんだろう? 
 それはひょっとすると、学ぶことの楽しさを生徒たちが知っている、ということ、そして、その学びの質の深さのようにも感じられました。教科書に沿って知識を詰め込むのではなく、作物を育てたり、料理やモノを作ったり、生きることに基づいて生活をする中で知恵を学ぶ、その方がはるかに深く興味を持って学べるように思われます。そしてそれは具体的には何に起因しているのか? 共通しているのは「テスト」という道具を使って子供たちを押し測らないこと。つまり、学びの現場に「競争を持ち込んでいないこと」、なんとなくそんな風に感じたのでした。

↑素敵な一輪挿し、さっそく使わせていただいております。ありがとう!