北からジョウビタキが渡ってきました。ジョウビタキはムギマキ同様、麦播きの生物指標として知られ、「ジョウビタキが渡ってきたら麦をまくといい」と言われています。今年こそは遅れないようにタネをまこう……と、心にかたく誓っていました。昨年はタネまきの時期が遅れ、収穫期が梅雨時と重なってしまいカビが出たり穂発芽したりで壊滅的だったのです。でも今年もまた遅くなってしまいました。麦をまき終えたのは、ジョウビタキがわたってきてから10日以上も過ぎてから。来年の梅雨は、空梅雨だといいなぁ。
麦をまく前に、まずは畑を耕運します。昔は馬や牛で耕しのでしょうが、現代はトラクターという文明の利器があります。新車の4駆のトラクターはベラボウに高価ですが、ひと昔前の中古の2輪駆動のトラクターは粗大ゴミとして捨てられていたりします(なんとモッタイナイことをするのでしょう……)。自家用だったらこれで十分。こうした古い機械をうまく使うことで、自給農も時間の節約が可能で、現代であれば比較的簡単に多くの種類の作物を自給することができたりします。しかも昔のトラクターは構造がシンプルなので、天ぷら廃油を燃料として動かせるように改造するのも比較的簡単だったりします。
↑ラジエターとエキゾーストマニホールドの二箇所で熱交換をする天ぷら廃油仕様の古い2駆のトラクター。2駆のトラクターには足踏み式のデフロック機構が付いているので、畑や田んぼでハマることはまずありません。
麦の畑は、収穫後、放置されていました。そのため夏の間は、草にビッシリ覆われていました。光合成により、太陽の光と二酸化炭素から糖やデンプンなどの炭水化物を大量に合成してくれていたのです。それらを刈って土の中にすき込み、麦が生長するための養分にします。
↑種まきする麦は、今年の夏に収穫したもの。ただしライ麦だけは収穫が遅れ危険なカビがでてしまったので、昨年収穫したものをまくことにしました。種子はタネまき前に昔ながらの方法で消毒します。お風呂の残り湯に熱湯を足して45度Cにして、それに麦をひと晩漬け込みます。こうすることで黒穂病や斑葉病の予防ができると言われています。しかしお湯につけ、濡れたままの状態ではタネまきができないので、写真のように天日干しして水分を飛ばします。
↑これはタネまきのための機械。プロは播種機(はしゅき)などと呼んでいますが、我が家では「権兵衛(ごんべえ)」と呼んでいます。権兵衛はなんと粗大ゴミ収集所で見つけ、いただいてきました。粗大ゴミは、捨てに行くときよりも、なぜか帰りのほうが荷物が増えてしまうので困ります。権兵衛を手に入れるまでは、手で播いていました。最初の年は花咲じいのように空に向かって麦を放り投げるようにして播きました。これはとっても気持ちがいい。ストレス解消には最高です。でも播くときはいいのですが、刈るときは大変。バインダー(刈り取るための機械)が使えず気持ちがなえます。そこで翌年からは条播きに変更。ただし手刈りで穂刈りだったら播種機など使わず、手まきのバラまきでもいいかもしれません。
↑捨てられていただけあって、多少壊れている箇所はありましたが、新品部品も入手可能で、意外と簡単に権兵衛は蘇りました。
タイヤを転がすと、それと連動して白いプラスチックのベルトコンベアが動きます。ベルトの真ん中の部分には穴があいていてその穴に麦が入ります。その後、ベルトコンベアに乗って一番上まで運ばれるとそこでベルトはUターンするので、麦は筒の中に落ちる、という仕掛けです。ベルトの穴に麦が山盛りの状態になってしまっては量が多すぎるので、ハケを取り付け、余分な麦を掃いてもらうことにしました。
↑ベルトコンベアから突き落とされた麦は、下部が砕氷船の船首のような形状になった筒の中に落ちていきます。この筒の底はタイヤの設置面よりも少し低くなっていて、尖った船首は土を削り、麦はその分、地表面よりも少し深い位置に落ちることになります。その後、すぐ後にあるアオリ板により土を掛けられ、その後からやってくるタイヤに踏まれて転圧されるという仕組み。覆土の深さや、播く量、タネの間隔なども任意にセットすることが可能で、なかなか良く出来ています。
↑今回は、南部とコユキ小麦、スペルト小麦、黒小麦、それにライ麦を播きました。ウチの圃場は植物の残渣が多く、それらが権兵衛に引っかかりがちです。アオリ板に大量の残渣が引っかかると、土が掘れてしまいせっかく播いたタネが掃き寄せられてしまいます。これを予防するため、一度目は麦を入れず、隣の畝との間隔だけに集中して空荷で権兵衛を走らせ、播く部分の残渣を取り除いてから、二度目に麦を入れて一度目に通ったところをトレースして歩くと、残渣の多い畑でもうまく播けるように思います。
さて、いつ土の中から、芽をのぞかせてくれるのか? 朝起きて麦の畑を見るのが楽しみの日々がしばらく続きます。