完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


東京オセンピックのプレゼンテーション

 世界に向けた安倍総理の素晴らしい国際公約に目くらませされられてしまった感じの東京チームのプレゼンテーションでしたが、その実、具体的な提案はアイデアに乏しくて内容はなんだかとてもつまらないもののように私には感じられました。

 どうせなら、もっと大胆な発想のオリンピックを提案すれば良かったのに。
たとえば、福島の事故を受けて東京オリンピックでは、「原発はもちろん、化石燃料を使って発電された電気も一切使いません!」と宣言するとか。

 で、新しい競技を作ります。
競技時間は、2時間3分38秒。使用する発電機は問いません(持ち込み可)。2時間3分38秒という時間の中で、ヒトひとりが頑張っていかに多く電気を発電することができるか? を競う競技です。

 あるいは、競技を観戦する人たちは暇で体力をもてあましているわけだから、スタジアムの客席にはペダルタイプの自転車発電装置をつけて置いて、それを漕ぎながら競技を観戦するというのはいかがでしょう? そうすればスタジアムは外からの電気を使わないですむだろうし、お金の力で強引に登録した競技や、判定によってどうにでもなってしまうつまらない競技には、お客さんが集まらないので、役員やコーチや監督などが必死にペダルを漕がないとテレビ中継の電気さえまかなうことができない、ということになります。

 しかも競技は(安倍の言う)アンダーコントロールではなく、アンダーコンストラクションの状態で行います。つまり、ウエイトリフティングの選手は、バーベルではなくセメント袋を何袋運べるか?を競えばいいし、高飛び込みの選手は、高いところから飛び込んだついでに海中の砂を採取し、東京湾の線量測定のお手伝いをします。
 だめだ、やっぱりどうあがいてもブラックな方向に傾いていってしまう……。


 上の写真は何年か前に明野で行われたエコアートフェスティバルでのひとコマ。ペダルを漕ぐことで発電する自転車発電装置なのですが、頑張ると扇風機(自動車用の電動ファン)にも電気が供給され、涼しい風を浴びながら発電ができる(余剰電力を自動車用の廃バッテリーに蓄電できる)という仕組み。
 漕いでいるのはフィリピン、ルソン島の山岳地帯からやってきた少数民族の青年。日本人はあまり興味を示さなかったけど、彼らは健全でこうしたことに興味があるんですね。