Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


年齢に応じて責任をとる、ということには賛成だけれども……。

 なんらかの組織的な動員がかかっていたわけでもないのに、山梨で一番大きなホールが、たったひとりの方の講演会で満員になってしまいました。スタッフの方の話によるとこれは前例のないことだそうです。前売り券だけで2000枚を超えてしまいそれだけで席が埋まってしまったので、当日券を当てにしていらしていただいた方はホールに入ることが出来ず、ホールの外でプロジェクターで講演を見ていただくことになってしまったという異例の事態でした。
 しかし、小出裕章さんは、このことに対して頭を深くさげたのでした。私のようなものの講演にこんなに多くの人が集まってくれたということは、福島で起こってしまった事故が取り返しのつかない悲惨な事故であることの証左。原子力にかかわってきた者として、このような事故を防ぐことが出来なかったことに対してまずは謝らせてください……。
 全編にわたって見事な講演でしたが、個人的に特に面白いと思ったのは、小出さんが使われた「自己責任」という言葉の使い方でした。イラクで亡くなられた香田証生さんの事件では「自己責任」の大合唱が起きてしまって以来、私(わたなべ)はこの言葉をできるだけ使わないようにしてきました。一方、小出さんは今回「自己責任を果たす」という風に、他人に対してではなく、自分(あるいは自分たち)に対して自己責任という言葉を使っていました。選挙権を持っていた私たち大人には、電力会社や国が流す安全神話を疑うことなく信じてしまった責任がある、という考え方です。その上で、食品の汚染をしっかりと厳密に測定し、汚染の度合いにあわせて60禁、50禁、40禁……と仕分けする。歳を重ねるごとに放射線に対する感受性は低くなることと合わせて、電気を湯水のように使う世の中を容認してきた時間の長さも勘案し、年寄りは責任をとって汚染濃度の高い食べものを食べる、という考え方です。

 ただこれに関しての質疑応答で面白かったのは「汚染された食べものは、年寄りが責任を取って食べるということには賛成だが、しかし放射性物質を減衰させる術を我々は持っていない、ということは、その年寄りが死んだときの遺体を焼いたら放射性物質が(早めに)拡散してしまわないか……?」という鋭い質問。これには小出さんも苦笑いをしていました。しかし原子力発電は、人の遺体までも放射性廃棄物にしてしまうほど無常で凄惨な発電方法なのだということを受け止める必要があるように思います。
 ところで、今回の講演会の模様は14日夜8時からユーストリームで放映されるとのことです。あまり詳しく書いてしまうと、それを見るのが面白くなくなってしまうのでここではこれくらいにします。興味のある方はぜひユーストリームを見ていただきたいと思います。
 しかしそれにしても山梨最大のホールが満員になってしまったことには驚かされました。これほど多くの山梨県民が今回の事故のことを憂いていて原発のない世の中が早く来ることを願っている、ということを我々の代表者であり政策の決定者でもある知事や議員にもしっかりと受け止めて欲しい、と強く感じた講演会でもありました。

 小出裕章さん、そして今回のイベントを作ってくれたスタッフのみなさん、今回のような素晴らしい会を作ってくれて本当にありがとうございました。

↑小出さんは素晴らしいアイデアマンでもあるなぁ、というのが今回の講演会を観ての乾燥のひとつでもあります。分かりにくいことを実感を伴って分かりやすく教えるためのアイデアにも富んでいました。上の写真はヒトが電気を使うことを覚えた時間的なスパンを考えるために、小出さんが提示した図。この日、小出さんは甲府駅から会場まで歩いてやってきたそうです。駅から会場のホールまでの距離と460メートルの同心円との比較の図が上の写真。地球的な時間の流れを距離として実感するための図で、現代がこの円の中心で、1億年を10メートルとすると地球が誕生したのは、ちょうどこの一番外側の円のあたりになるそうです。

↑で、生命が誕生したのは約40億年前ということだから、地球誕生の6億年後(外から二番目の同心円の当たり)大雑把に見れば地球誕生とほぼ同じ時期に生命は誕生しています。そしてヒトがこの星に誕生したのは、同心円のセンターから40cmのあたり。さらに、そのヒトが電気を発明し産業革命が起こったのは、ほんの200年前で、それは距離にすると0.02mmになるそうです。

↑そしてそのほんの0.02mmの間に、これほど急激に多くの生物が絶滅してしまっている……。普段、なんとなく数値としては知っていたことではあるけれど、こうした身近な距離と関連づけられ、その0.02mmの中の中心的な存在がいま生きている我々なのだということを知ると、なんだか鳥肌がたってしまったのでした。

 小出さんの講演が終わった後のモッチーの言葉も良かったなぁ。
「ひとりの人の講演会に2000人もの人が集まるのは快挙だけれども、山梨県民全体を考えるときょうここに集まった人は431分の1に過ぎません。でも、ここにきょう集まった人たちが、それぞれに共感してくれて、きょうの講演の内容を周囲に伝える努力をしてくれたら、脱原発に向けた大きな流れを作ることができると思います……」。
 ときに厳しい指摘のある講演でしたが、講演が終わった後、普段の表情に戻った小出さんが、とてもにこやかな方だったことも印象的でした。