完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


「PEACE」の旗

 きょう、たくさんの人が集まって、お別れの会がありました。ちょっとうらやましいくらいに素敵でカッコいいお別れの会でした。家に帰ってきてからも、いろいろなことを考えさせられる、悲しいはずのお別れの会なのになんとも素敵な会でした。
大好きな人でした。


 大学には行かないという選択をした娘にとって、最高の先生のひとりでした。東京の日仏会館であった「市民的不服従は民主主義に寛容か?」といういかにも面白そうなタイトルのシンポジウムに娘を連れて行ってくれたり、でもそのとき、ちょっとした勘違いからティエリー監督の映画を観ることができず、そしたら、その後、八ヶ岳に監督を呼んで上映会をやってくれたり……。


 田んぼを一緒にやっていた仲間でもありました。
「わたなべさん、ボクはねぇ、田植えをしていると、なぜかお尻が水についちゃうらしくて気がつくと濡れちゃってるんですよ、だからこれ買いました」と言って、渓流釣り用の胸まであるウエットパンツを履いて田植えをしていたりしました。「でも田植えしていると汗かくから、やっぱりこれ履いててもパンツまでびっしょりですね」と。


 ドイツでシュタイナーを学び、イスラムスーフィーにも造詣が深く、たくさんの放射線測定器を持って福島に、あるいは辺野古にも飛んでくれました。久松さんの講演に行くのにちょっと遅刻してしまい、クルマを飛ばしていたら、道すがらになぜか久松さんがいて「わたなべさん、道に迷ってしまったのだけれど、社会福祉会館ってどこですかねぇ?」って、もう講演開始時間は過ぎているのに……。


 どんなピンチのときでもいつも笑顔で失敗もときにチャンスに変えてしまうあのタフさ! とても真似はできないけれども、ピンチな時こそ日頃のヒトガラが出るんだなぁ、と実感。


 生前、教えてもらったことがたくさんあります。そして亡くなってからもこんなにいろいろ、強烈に教えてもらえるとは思いもしませんでした。僧侶、牧師、シスター、あるいはその他の宗教の関係の方たちもいらしていたけれど、宗教色を廃し、しきたりや形式にとらわれず、それによって「ヒトの死」をしっかり見つめなおすことのできる見事なお別れの会でもありました。弱者に対してとても優しい視点を持った方だったけれど、そういう点では権力や盲目的な考えに対して、とても厳しい態度を示す方でもありました。


 きのうは庭のサクラ、きょうはルッコラを持って行きました。誰かが呼びかけたわけでもないのに、ご遺体の周囲は、みんなが持ち寄った野の花、畑の花がたくさん飾られ、形式的に行われた白装束の上に最後にそれを覆すかのように掛けられた色鮮やかな大きな「PEACE」の旗。
 久松さん、ありがとう。お別れの会、とても素敵だったけど、こんなに悲しい夜はありません。