完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


実はまだ、縄文時代は終わっていなかった?

 北杜市考古資料館で行われた、宇々地夫妻、大林あけみさん、黒岩成雄さんによる、「原始の響」というライブに行ってきました。見ごたえ、聴きごたえのある素晴らしいライブでした。
 ここ八ヶ岳は縄文遺跡がたいへん多い地域で、縄文の頃は文化の中心地だったようです。また、現在も多くのアーティストたちが住んでいます。当日、考古資料館では現代の作家やアーティストたちによる縄文を意識した作品の展示が行われていました。

↑鉄とコンクリートと自然石を組み合わせた作品。すぐ近くには、ナラの大きな材が横たえられていました。

↑ライブの途中、東の空に大きな虹がかかりました。この地域、夏になると、八ヶ岳で発生した上昇気流で積乱雲が発生し、金峰山の方に流れ、夕方にはそのラインに沿って夕立が降ることがよくあります。縄文文化が栄えたこの地は、毎日のように美しい虹を見ることのできる地域でもあることを思い起こさせてくれました。

↑虹に見とれていたら、再び音楽が始まっていました。虹にささげられているようでもあり、その感じがとても自然でなんだか縄文時代に戻ったような錯覚に陥ってしまいました。
「縄文の後に弥生時代があって、その後、飛鳥、平安、鎌倉、江戸……と続いていると学校では習うけれども、実はそれぞれの時代はまだ終わっていなくて、それぞれが積み重なりあいながら現代に至っているのではないか? まだ縄文をそのまま引きずっている人たちが現代にもたくさんいて、その人たちがこの地に再び集まってきているのではないか?」という宇々地さんの話が妙に説得力があり、深くうなずいてしまいました。
 穀物を作って蓄える農耕文化と違って、狩猟採集文化は分かち合う文化だったのではないか? それはシカを一頭解体してみて、しみじみ感じました。成獣のシカからは、30kg近い量の肉がとれます。冷蔵庫のなかった当時、それらは必然として分け合うしかなかったのかもしれませんが、こうした必然からなる「分かち合う文化」が争いや戦争を回避し、その結果として縄文時代は1万年以上も続いた、ともいえるのではないか? 家族でそんなことを話しながら、娘の運転で帰ってきたのでした。縄文と違って、現代の時間の流れは速すぎる……。