Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


白州オフ会案内・熊谷さんの豆乳ナベ

以下、MLからの転載です。

熊谷です。
白州オフ会寒いようなので、丹波篠山の冬の鍋の定番、丹波黒豆乳鍋を作ろうと考えているのですが、何処かで美味しい鶏肉手に入りませんか?買っていこうかと考えていたのですが、スペシャリストの集まりなので手に入らないかと思うのですが・・・。
 その他、白菜、ねぎ、みず菜、きのこ類、豆腐、うどん・・・があればうれしいのですが、ある方、また、豆乳鍋に賛同いただける方連絡ください。


熊谷さん、ありがとうございます。
遺伝子組換えをしていないトウモロコシ(いまや貴重)を使って、
平飼いで育てられた鶏卵用の親鳥で良ければ手に入ります。
ただ……生きています。
俗に廃鶏と呼ばれる卵を生む量が減ってしまったために
業者に有料で引き取られる親鳥で、
皮や肉は固いけれどももの凄くいいだしはでます。
鶏の油は、実は魚以上に鮮度がモノをいいます(新しければ新しいほどにおいしい)。
「捨てられている価値を見出す」あるいは「命のいただき方」ということでは、
とってもいい企画かなぁ?とも思うのですがいかがでしょうか?

鬼塚順さんという同じ町内で、養鶏をしている友達からいただくのですが、
鬼塚さんは「栄光の名車レストアの楽しみ」や、
幻の銘著「四駆放浪児」などの執筆者でもあります。
初期の頃からBDFを使っており(今はやめているけど)、
今回のオフ会の話をしたら、顔出そうかなぁ?とおっしゃっておりました。
わたなべ



わたなべさん、こんばんは熊谷です。
ありがとうございます。
17歳の時、兵庫県内の農業高校の中から選抜でブラジルに農業研修に行った時、
大規模な鶏肉加工工場に見学に行った事があり、その時の事を思い出しました。
 かなりの衝撃でした、第一肯定で、生きた鳥が、足から機械にぶら下げられてもがいているのを
首を切られ、血抜きをされ、洗車機のような機械で、羽をもぎ取られ、腹を割られ・・・
最後に、鳥肉となってパッケージされてベルトコンベアーを流れていました。
すべて機械的な作業で、何か考えさせられるものがありました。
 幼い私は、その後しばらく鶏肉を食べる事ができませんでした。
こう言う事ってすごく大事ですよね、昔はどこの家でもあった光景で、こう言う事があるから命の大切さが分るんだと思います。

 先日聞いた話ですが、私の住んでいる所の、宮司さんが元学校の先生で、その方が言っていられたのですが、
宮司さんの後輩の先生の学校では、給食を食べても良いよと言う合図に笛をふくのだそうです、
 なぜ笛を吹くかというと、ある親が、給食を食べる前に”いただきます”というのはおかしい、
うちの子は、学校の先生に、給食をご馳走になっているわけではなく親が給食費を払ってると言う抗議があって
給食に前に、笛を吹くようになったと言う事です。
 宮司さんが言っておられたのですが、“いただきます”とは、食するすべての命に対して言う事で、
人間が食する物には、すべて命があったものを、人間があやめ食べて生きているという事を自覚して欲しいと言っておられました。
 都会生活していると、食べるのもはすべて食材となって姿を変えている為、なかなか命を食しているとは気がつかない人もいるようです。