Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


スウェーデンのテレビドラマが原作という『ヒューマンズ』(英語版日本語字幕)、いろいろ考えさせられました。そして素晴らしかった。

多くの人に、先入観なしで見て欲しいので、なるべくネタバレしないように書きます。

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ヒトは自分の遺伝子とパートナーの遺伝子を混ぜることで、こどもに、より多様な遺伝子を残し、その後、自分は死んでなくなることで個体数の調整をし、氷期などの大きな環境変化に、種として(あるいは個の遺伝子として)対応することで生き延びてきた哺乳類のひとつ、のように私は思っています。

テーマは「シンギュラリティ」です。死と共に意識とともに知識をも失ってしまうヒトという生きものではなく、細胞のような組織だけでなく知識や意識が劣化せず、情報の処理能力がヒトよりも格段に早いAIが、さらに優れたAIを作り出すようになるとどういう世界が考えられるか? というひとつの疑似体験でもあります。


ヒトの場合、生まれてきたばかりのこどもには、知識はほぼなく、経験によって多くの知識と知恵を脳に蓄え、そして長くても100年くらいで死んでいきます(少なくとも現状では)。


一方、コンピュータのデータは、劣化しません。
フロッピーディスクと現行のマイクロSDを比較するまでもなく、情報の蓄積量は驚くくらいに増えました。それと同時に、データの処理能力も天文学的に向上しました。そしてそれらはいまが最終地点であるとは思えません。加速度的に発達していく可能性が高いように思えます。
そしてこれらのデータや処理能力には老化はなく、物理的に壊れない限り壊れません。ヒトの細胞のように劣化するというプログラムが組み込まれていないので、壊れても修理して使い続ければ、ほぼ永久に使い続けることができてしまうわけです。


そんなことは受け入れられない、というヒトもいるとは思うのですが、私はこう思っています。
ヒトの脳の中に収納されている「知識」や「情報」などと同様に、ヒトの「意識」(「心」や「精神」のようなもの)も、やはり脳の中のシナプスなど電位差や電気信号などから生まれているものであると。
臨死体験などを輪廻転生の証拠のように言う人もいますが、処理能力が不安定な状態とも言える「睡眠中」に見る「夢」と同様、不安定な状態でのデータ処理装置の混濁、俗っぽい言い方をすれば、バグの一種のようにも、私には思えてしまいます。

虫好きとしては、ヒトと虫の違いは、そのあたりの処理能力や処理方法の違いだけなのではないかと。


「意識」を持った当初は未熟であるけれど、「経験」や「学習」によって、どんどん変わっていくシンス……というのがヒューマンズの中では描かれています。(←何を言っているのか、分かってしまうとこれから見る人にとっては面白くなくなってしまうので、見てない人にはわからないようにちょっとボカしてみました)。

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パンデミックもそうだけど、もしもそうしたことが起きた時、どういうことが起こる可能性があるのか? あらかじめ想定しておくことは、(私のような情報記憶能力も、それの処理性能にも劣る脳の持ち主には特に)大切なことのようにも思いました。


こうした状況に陥ったときの「国」という組織の描き方も秀逸。
「神」や「ホモサピエンス」の描き方も。
テレビドラマにもかかわらず、それらを描きすぎたためにシーズン3で終えることになってしまったのではないか? などとも勘ぐってしまいます。

古いクルマや道具を愛してきた者としては、オールドタイマーであるオディの描き方も心に響きました。

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原作もテレビドラマなゆえ、視聴率を意識する必要もあり、もう少していねいに脚本を書きたかっただろうなぁ、と思う部分もないわけではないけれど、展開も早く、いやぁ、面白かったなぁ。

ぜひ、ぜひ、ぜひ、多くの人に見て、そして考えて欲しいテーマでもあります。
私には宮崎駿ナウシカ(映画ではなく漫画版の後半)と通じる「意識」や[命」に関する大切なテーマを描いているようにも思え、衝撃を受けました。
戦争などの絶望的な経験の記憶さえも時間とともに、あるいは世代交代によって劣化させてしまう暴力的で野蛮なヒトではなく、AIが搭載され記憶や経験からの知恵が劣化しないアンドロイドの方に惹かれてしまうという「ヒトのこども」の描き方も、秀逸でした。


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