完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


クヌギの実の豊作とシギゾウムシ

南アルプス東麓では、今年はクヌギの実がいつにないくらいに豊作のように思えます。
もしかしてこれ、ミツバチと関係があったりしないのだろうか?
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この地では今年は異常なくらいにニホンミツバチの分蜂が盛んで、孫分蜂したものも数多く見られました。
この地域では、一時、アカリンダニの影響で、ニホンミツバチは壊滅的にまで減ってしまったのですが、ここに来て再び以前の個体数を取り戻したように思います。セイヨウミツバチが運んできたというアカリンダニに対して、もしかしたら耐性を身につけたのだろうか?

ウチで飼っているハチが飛んでこないような山の中でも、ウコギなどの雑木の花が咲くと羽音が耳につき、花を見るとニホンミツバチが盛んに吸蜜に来ていたりしました。

クヌギの実が多いと、クマが里に降りてくることが少なくなりそうな気もするけど、逆に個体数を増やして来年以降に事故の確率が増えてしまう可能性もあるのかもしれず、本当のところは分かりません。

ヒトはついつい自分の都合のいい方に考えてしまいがちだけど、自然の生態系は種や個の多様性を増やす方向に遷移しながらも個体数は常に増減を繰り返しながら平衡を保ち、個体数を増減させることで淘汰により遺伝子を変化させ多様性を身につけて環境の変化に対応してきた、ということは間違いないことのように思います。

ところが、いま、その生態系の仕組みから外れてしまっている生物がひとつだけあって、その生きものは平衡を保つことなく一方的に個体数を増やしてしまっているかのように見えます。
つまりこれは遺伝子淘汰による環境適応能力を失いつつある、ということ。

あるいは大発生したマイマイガがエントモファーガ・マイマイと呼ばれるマイマイガにだけ選択寄生する菌によって、壊滅するようにパンデミックが起こるのだろうか?

ヒトは、火や電気を使いこなし、前世代からの情報を知恵として次世代に伝える技術をも持っていたりもして、たしかにある点では非常に優秀ではあるけれど、ひとつひとつの個体は、自分や自分に近い種の遺伝子を残したいという本能には抗えていないようにも今の社会を見ていると思えます。

あるいはそれとも、蜂球を作ってスズメバチを熱殺するニホンミツバチのように、個を犠牲にしてでも群を守るような手段で種の保存を優先するような選択をするのだろうか? それもあんまりあって欲しくない選択です。

大豊作のクヌギの実の影に隠れているクリシギゾウムシを見つけて、そんなことをふと思ってしまったのでした。自然の生態系は素晴らしい!
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クヌギシギゾウムシが隠れているの分かるでしょうか? 
(実は撮影したときには気がつきませんでした)。