明日11月12日は新月です。正確に言うと、午前2時47分だから、きょうの夜中が新月。建材はもちろん、薪やきのこの植菌用の材も水分量が少ないことが有利。そんなわけで葉枯らしのできる11月の前半は野菜の冬支度や麦の播種などの農作業と葉枯らし可能な新月伐採の時期とが重なりなかなかに忙しい、いや充実しているのでした。
↑このクヌギは我々がこの土地に移り住んでから二度目の伐採。クヌギはとても成長が早いのです。そしてさらに、とても火持ちのいい薪になると同時に、シイタケの原木にもなります。写真のようにひこばえを残して伐採することで再生が早く、10年くらいで再び材を得ることができるというとても優れた植物なのです。
でもこれ、おそらく、ヒトがそうした特性を持った個体を優先して選択して育ててきたからではないか? とも思っています。それによって遺伝子レベルで品種改良が進んだ、ということなのではないかと。いまは化石燃料が全盛で薪炭林を育成するということが無くなってしまいましたが、ヒトが薪用の林を育ててきた歴史は稲を育ててきた期間なんかよりもはるかに長く、里山は言うなればもの凄く長い年月をかけて作られた「薪の畑」のようなものではないかと思っています。
1970年代の航空写真を見ると分かるのですが、都市部から離れた八ヶ岳山麓のこの地域でさせ、その頃は林や森なんてほとんどありませんでした。あるのは木のないハゲ山。いまからほんの50年前は、ヒトの少ないこのあたりでさえ、それほどに薪炭木が貴重な存在だったのです。そうした話を集落のお年寄りから聞くたびに、こんなにヒトが増えてしまった今の日本で、もしも戦争が勃発してしまったら、そして海外からのモノの輸入が途絶えたらどうなってしまうのか? 戦争に備えて武力や兵力を増強するなんてことは今の日本ではほとんど意味のないこと、のように思えてしまいます。なにしろ、日本の食料自給率は40%前後ですが、エネルギー自給率は多めに見積もっても5%前後、なのです。
スミマセン、つい話が脱線しました。
↑下生えのコナラが育ってきたので、家の北側にあったクリの木も切り倒しました。電線にかかっていたので、あらかじめかかっていた枝をかなり落としてから伐採。おかげで電線を引っ掛けることなく倒せたのですが、倒してみたら予想以上に大きく道路いっぱいに倒れてしまい、しばらくは通行止め状態。幸い、クルマが来る前にどうにクルマが一台通れるだけのスペースは確保することができてホッとしました。
そして一番苦戦したのは、このクリの大木。枝ぶりが複雑でどちらに倒れたがっているかわからないのです。そしてすぐ横には井戸小屋。そこまで井戸のポンプ用の電線が空中を飛んでいるのでした。まずは、猿ムスメを木の上に配備し、危なげな枝を落としてもらいます。
↑その後、先端にオモリのついたリード線を投げ、倒す木のできるだけ高い位置にある木の又にロープを掛けます。
↑そしてそのロープの端をジムニーに結びつけます。そして倒れだしたらジムニーを急加速でバックさせる、という作戦。滑車を使って方向変換させることができなかったので、クリの大木はジムニーに向かって倒れてくるわけで、ジムニーは下敷きにならないように逃げる必要もあります。
↑慎重に受け口を切り、ほぼ意図した方向に倒すことができたのですが、枝の一部が井戸小屋にかかってしまい、屋根の一部を小破。でもまあ、とりあえずは大成功でした。
↑栗の大木が倒れた後、林の中、その上空にはポッカリと青空があらわれたのでした。
■追記1■
今回も微妙なクリアランスでの伐採だったけど、でもこれにはかなわないなぁ。お急ぎの方は50秒あたりからどうぞ。素晴らしいです。
■追記2■
↑これは1975年の航空写真で、右端がサントリーの白州蒸留所。一見すると緑豊かな土地のようにも見えますが、蒸留所のある沢の奥の奥までよく見るとハゲ山(木がまだ育っていない山)なのでした。
昔の航空写真や古い地図は「このサイト」で見ることができます。
都市部は1963年頃からありますが、ほぼ1975年版であればほぼ全国の航空写真をみることができます。
地図が開いたら、右下の「+ボタン」で拡大して場所を大雑把に指定し、左上の「地図」のタブを開いて「昭和前記(5万)」や「写真1975」などを選ぶと、それに切り替わります。