昭和90年9月26日「ユルクラ」に行ってきました。

 ほーんとに久しぶりに、サーキットに行ってきました。しかも鬼門のスポーツランド山梨。ここは苦い思い出の場所なのです。

 その昔、CARBOYという雑誌を手伝わせてもらっていたときに、空き地に打ち捨てられている360ccの軽自動車を修理してレースをしよう!という貧乏臭い企画をたてたのでした。
 サビだらけの廃車を切った貼ったしてニコイチ、サンコイチでレーシングカーを作る、という工程を雑誌で紹介し、それにそそのかされて何人かの読者の方も同じように360ccのポンコツでマシンを作ってくれて、ついにはスポーツランド山梨で競争しましょう!、というところまでこぎつけたのでした。
 ポンコツが主体のため60分なのに耐久レースという情けない企画なのに、スポーツランドが東京から比較的近いことなどもあって、たくさんの人が見に来てくれたのでした。
 でもそれが大誤算。紙媒体が不調な今では考えられないことなのですが、その頃のCARBOY誌は公称部数41万部。出場者の他に100台も見物の人のクルマが来れば駐車場は満杯になってしまうスポーツランド山梨を目指して数千台ものクルマがやってきてしまったのでした。すれ違いがやっとの山道にズラーっとクルマが並んでしまったものだから、どこもかしこも動けなくなってしまい、パトカーがサイレンを鳴らして通ろうとしても動けないものは動けない。行列は伸びに伸び、ついには、中央道の中まで渋滞してしまい、近隣の方々はもとより、多くの人に絶大なる迷惑をかけてしまったのでした。イベント終了後、呼びだされて山梨県警に謝りに行ったり、あー、あんまり思い出すたくないなぁ。
 ちなみにその時作ったクルマが今ウチにあるブルーのホンダZで、ヘンテコなカムが入っていたり、ギリギリまでボーリングしてシビックのピストンを無理やり突っ込んだり、ノーマル然としたエンジン外観からは計り知れないインチキ改造がされていたのですが、それでも勝てず、後にいろんな雑誌の編集長になるK君が代表してBOSEになったのでした。

 で、そのスポーツランド山梨で、昭和90年の9月26日、ユルいクラシック系走行会、通称「ユルクラ」が行われ、それに友達が出場する、というので、その応援に駆けつけたのでした。ふう、前置き長すぎました。スミマセン。

 久しぶりで訪ねたスポーツランド山梨は、ユルクラならでは、昭和にタイムスリップしたような空間でした。

 キュートな女性が多かったのもこの日のスポーツランドの特徴。カラフルなタブレットでロイヤルエンフィールドを撮影しているなぁ、と思ったら、次の瞬間、彼女自身がそのエンフィールドを駆ってサーキットを走り抜けていたりしました。

 最終コーナーの立ち上がりで、ノートンをインから刺すベスパ。なんだか知らないけど、やたらと速いベスパがたくさんいて驚かされました。ベスパってイジるとあんなに早くなるのねぇ。

 四井さん、タイガーカブ(真ん中)も走っていて、侮れない速さでしたよ!

 八重洲出版時代、同じフロアーで机を並べていたミヤケンさんのカブレーシング。

 そのカブレーシングを、世界で活躍するカスタムビルダーの中島46さんがR90でアウトから被せます。サービストークかも知れないけれど「わたなべさんの54Bの連載読んで、私たちは八ヶ岳に越してきたんですよ」って言われたのは嬉しかったなぁ。



 で、今回、応援しに行ったのは、このマシンでした。
よく見ると、フロントフォークはスーパーカブ。そしてエンジンもカブベースだったりします。でも、なんだかその奥に、灰色のキントンウンが。

 左側から見るとこんな感じ。ベニア板貼りのお座敷があったりします。オーナーはニーラー(一般的なサイド−カーと異なり、側車とバイクが一体となったサイドカー)と呼んでいるようですが、昔、氷屋さんが四角に切った氷を運んでいた側車付きカブに似ています。

 オーナーでありビルダーでもある友人のキイチさんは、設備屋、つまりは水道屋さんです。自作されたパイプフレームには、一見、水道の配管を吊り下げるための金物のように見えるものが使われているようにも見えたりしますが、たぶんそれは目の錯覚?
 コーナリングでの重心移動のため車体からハングしたパッセンジャーがタイヤと接触し摩耗しないようにと取り付けられたフェンダーは、金網で造形し、それを灰色のガムテープで巻いて作られているようにも見えたりしますが、たぶんそれも気のせいだと思われます。

 スポーツランドは相変わらず、食堂はもちろん、食べ物屋さんのたぐいは一切ありませんでした。この日は土曜日だったので道の駅への野菜の出荷があり、早朝から働いていて空腹感が絶頂に達した午後2時35分過ぎ、彼らは現れたのでした。

 この日、エントリーしたサイドカーはただ一台。そのため、正常なユルいクラシックな2輪車たちとの混走で、一緒に走っていた2輪車たちが可哀想なくらい、このサイドカーだけがすべての衆目を釘付けにし疾走。

 これは左コーナー。ストレート横のタワーの上から撮ったのでかなりの引き画像ですが、ライブで見るとかなりの迫力でした。

 アップにするとこんな感じ。パッセンジャーはある意味、恐怖との戦いだったようです。詳しい模様は田村さんのこちらのブログをどうぞ。

 そして右コーナー。三輪な上にノーサスでロールほぼゼロなので、コーナリング速度をあげるには曲芸のような重心移動が必要なのでした。
 しかもこのお座敷、空飛ぶジュウタンでもあるのです。路面の凹凸で弾んで人が宙に一瞬でも浮いてしまうと、ジュウタンはあっという間に人を置き去りにして先に行ってしまうのでした。
 にもかかわらず、衆目を浴びながら、無事にチェッカーを受けた……その瞬間、プシュンという音がして、なんと、なんとのエンジンブロー

 注目を浴びるための演出ではないのか?というくらいの絶妙なタイミングだったのですが、ピットに戻りカムカバーをあけたら……、

 カムスプロケットを固定するボルトが折れていたのでした。本場のサイドカーレースでも観客をここまで楽しませてくれることは少ないように思います。
 蕪韮競争、ひょっとして流行ったりしてね。でも、ロールバーはおろか、シートベルトさえもない3輪車で遊ぶようなものだから、どうか十分にご注意のほどを!