完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


低所得DQN4人自営知足体制?


朝、少し早起きして、家族でブルーベリーを収穫しています。
このあたりは観光地でもあるので、夏休み中は人がたくさん来るので道の駅に出荷。
自家用ブルーベリーなので、実のなり方がまばらでかなり手間はかかります。



10パック売れたとしても、2000円ちょっと。
道の駅の取り分もあるし、パック代などもかかるので、
時給に換算すると500円を切ってしまうのですが、、
田舎暮らしだと家賃や駐車場代、それにウチの場合だと、
食料や車の燃料代もほとんどかからないから、
結構これが貴重な収入源だったりします。


田舎で、農業でもやって、のんびり暮らしてみたい、
という人がときどきいらっしゃいますが、
「のんびり」は気の持ちようでどうにかなったとしても、
農業のことを「農業でも」と考えている人がいたとしたら、
それはちょっと苦労するかもしれません。、
良心的な農業で食べていくのは、かなり難しいことのように思います。

企業が行う大規模農業のように利益や効率を最優先し、
農薬や除草剤、それに電気や化石燃料をふんだんに使う農業であれば、
利益を出すことも可能かもしれません。
でも、これからもそんなことをやっていたら、
近い将来、大きなしっぺ返しがありそうに思えます。
蜂群崩壊症候群を始め、すでに生態系のバランスが崩れはじめていることによる、
影響はかなり出てきてしまっています。
数億年という気が遠くなるほどの時間をかけて蓄積した化石燃料を、
地下から掘り出し、それを数100年という短い時間で使ってしまって、
それでもこれまで通りの地球環境を保つことができる、とはとても思えません。




農作物を販売し、それだけで暮らしていく、
というのはかなり大変です。
でも、月3万円ビジネスをいくつかやりながら、
ビンボー臭く暮らしていく、というのはありじゃないかなぁ。
秘けつがあるとすればそれは、
お金を使わない暮らし(自分でつくる暮らし)を「楽しむ」
ということのように思います。

朝、早く起きてのブルーベリー摘みは、手間仕事ですが、
朝の光と鳥たちのさえずりの中、家族で話をしながら作業ができる、
というのは、とても幸せな時間、だったりもします。


 ところで、
資本主義で勝ち残るための家庭システム」というサイト、
かなり乱暴な感じで書かれているけど、最後のツイートを読むと、それももしかしたら意図的だったのでは? と思えるくらい、ストンと落としてくれています。結構、真理をついてると思うんだよなぁ。
 ちなみにわが家では、道の駅への出荷は、80歳の母が中心にやってくれていて、孫はもちろん、親子三代、低所得DQN4人体制でどうにかまわしています。そんなにお金を稼がないでも暮らしていける体制、ということでは、娘が授業料の高い日本の大学に行かずに、生活費や授業料の安い途上国へ、語学&料理留学(1日6時間のマンツーマン授業の授業料、宿泊費、食費代込で1か月10万円でした)、あるいは、日本ではワークショップのお手伝いやインターンなどで学び続ける、という選択をしてくれたのが大きかったように思います。


以下、上記サイトからの抜粋
『もうそろそろハッキリさせておくべきだけど「一生懸命勉強して良い会社に就職する」というのは個人の幸せに何も寄与していない。ただただ家庭を犠牲に企業を強化するだけで、この生き方は個々人を幸せにしない。この生き方を提唱する事も、この生き方を選ぶ事も、何もかも間違っているわけ』