今年もルリボシカミキリが姿を見せてくれました。それまで悩んでいたあらゆることを一瞬にして忘れ、周囲の時間を止めてくれるくらいに美しいブルー。この青を見るたびに、ちょっと悔しいのだけれど福岡伸一のことを思い出します。
「生きものが、物理の法則であるエントロピーを克服することのできる唯一の方法は、とうとうと変化している流れの中にあるということ」で、「その流れの秩序が守られるためには、常に壊され続けている必要がある」、福岡伸一が書いた「動的平衡」には、そんなようなこと、つまり生きている生物は動的平衡な状態にある、というようなことを言っていたと思うのだけれど、これはかなり衝撃的でした。
ルリボシカミキリのこの「青」は、常に動的平衡な状態にあるからこそ、維持できるものだと……。
しかも面白いことにトマトやブルーベリーなんかは、動的平衡の中にあって色を変化させているわけで、動的平衡は必ずしも静止した状態ではないわけです。そこがこの種の高等な生きものたちの素敵なところとも言えるかなぁ。
シシトウは、未熟な緑のうちに収穫し、殺してしまう(動的平衡を断ってしまう)とそのまま緑色でしおれていくけど、木成りで完熟させると唐辛子のように赤くなることもあります。動的平衡も細胞の分裂回数によって劣化のプログラムが規定されているから、それによって色の変化がでる、ということなのでしょうか?
タマムシやアオカナブンなんかも、動的平衡状態でないと出せない色(標本や玉虫厨子になってしまうとあの輝くような緑は色あせてしまい幻滅させられます)。
動的平衡がエントロピーを克服する唯一の手段だと思っていたのだけれど、実は動的平衡のように見えても実は必ず少しずつ変化しているのが我々、多細胞生物といえるように思います。しかしそれはエントロピーの動きとは異なるようにも思うのです。
一方、分裂によってしか増えることのできない単細胞生物が、いまも生きているということは、40億年くらい前に生まれてからいままで、少なくとも元の細胞の一部は死んでいないわけだから、彼らはほぼ不老不死?
しかも彼らは雌雄による交配ができないから、放射線などの影響で突然変異しない限り、基本的には40億年前の個体である、ということ? そしてその突然変異によっていつしか雌雄が生まれふたつの異なる遺伝子を混ぜることが可能になって、生物の多様性は飛躍的に広がり、その遥か先の結果として、いまのヒトという生きものが存在する……ということ。
つまりは分子レベルでの破壊&再構築だけでなく、個を定期的にアポトーシス(積極死)させるプログラムを組み込むこと(寿命を迎えて死ぬということ)で、種の中の個を多様化させ、それによって大きな流れの中に動的平衡を作ろうという作戦を取ったのが我々、多細胞生物のように思います。分裂回数に応じて、細胞が劣化するというとても高度なプログラムの上で我々は多細胞生物は生きているわけです。
でもいま、ヒトだけは、その高度なプログラムを初期化することで、その動的平衡の大きな流れから抜けだそうとしているようにも見えます。個々の専門分野がここまで分化され研究が進むと、あとはそれらを統合し組み合わせるという作業をするだけで、それは技術的にはそれほど難しいことではないようにも思えるけど、はたしてそれを行ってしまって大丈夫なのだろうか?
動的平衡の中にいる生きた状態の生きものたちを、劣化に向かう動的平衡という多細胞生物に課せられた戦術の中に身をおきながら観察できる、その幸せを満喫している2015年の夏なのでした。