完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


2015年7月18日13時に思ったこと。


実は最近ちょっと気になっていることがあるのでした。
たとえば「アベ政治を許さない!」という標語。
国会前で安倍やそれを支持する政治家たちに向けて発するのはわかるのだけれど、町のあちこちで、市民に向けて突きつけるのはちょっと違うんじゃないかなぁ、ということ。
もし市民に向けて発するのであれば、「許さない」ではなくて、せめて「許せない」と独り言の体裁をとるべきなのではないだろうか?
デモにしてもそうなのだけれど、現状で、あまり政治のことに関心のない市民の人たちに向けて、たとえそれが正論であっても相手になにかを押し付けるような乱暴な言葉を突きつけてしまうのは、こちらのことを冷めた目で見ている彼らとの間になお一層の断絶をうむだけで、なんだか損をしてしまっているようでモッタイナイ気がします。

「戦争に巻き込まれてしまうことを本気で恐れているのであれば、そのあたりの表現方法をもっと真剣に考えるべきだと思います」なーんて他人に断定的に言われたら、やっぱりあんまりいい気持ちがしないと思うんだよねぇ。なんとなくその辺りの伝達方法にもう少し工夫が必要な気がしているのでした。

そういう意味でも、スピーチを中心とした若者たちのやり方、
そして「戦争したくなくてふるえる」というコピー、素晴らしいと思いました。
この動画、私は結構感動してしまいました。
どうして彼らが不良になったのか? 
そうだよねぇ、そこなんだよねぇ。
https://www.facebook.com/katsunori.matsushita/videos/873955002685296/?pnref=story