Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


不完全変態だけど、ヒトも脱皮ができる?

 おおー、もう、6月も5日。トーク&ライブのイベントがあってから、半月近くもたってしまいました。

↑これはライブの翌朝、ウスバシロチョウがふわふわと舞う雑木林の中で行われた「ナチュラルハイ」のためのリハーサル風景。バタバタしてしまっていてイベント当日の写真がないのです。素晴らしい料理の数々を皆さんが持ち込んでくれたのに……残念!


 しかしそれにしても……、トークもライブも、そして、お客さんとしていらしてくださったひとたちの面白さも、最高でした。いまもときどき、畑仕事などしながら、思い出しては頭の中はそれに浸ってしまっていたりします。


 いまは鹿児島の「てー庵」に暮らすテンダーだけど、その前は青森の六ケ所村に暮らしていた、とのこと。アースデイ六ケ所を首謀し、核燃料の再処理ということの妖しさや危険性などを伝えようとしたけれども、伝えようとすればするほどに、分断と断絶が進んでしまい、莫大な資金を持つ権力組織に狙われてしまった土地で、表立って反対を表明する活動に価値を見いだせなくなってしまった、とのことでした。
 と同時に、それほどまでにヒトの心を捉えてしまう「お金」というモノに対する興味から、「はたしてお金がないとヒトは現代を生きていけないのか?」を検証すべく自転車で横浜から旅に出たり(その際、交通事故で殺されてしまった動物たちを食べる技術を習得したとのこと)、逆に、自分が必死に努力したらどのくらいお金を稼ぐことができるか? を実験すると同時に、そのことの虚しさなんかを体験してみたり……というような話をしてくれたのだけれど、なんだかこうして書くとつまらないのだけれど、彼が話すと、まさに今、多く人が現代の日本の社会で感じているであろうところを、スパッとついてくる感じで面白かったなぁ、彼のトーク、どこかであったらぜひオススメです(もうすぐテレビの全国放送でもテンダーのことを紹介する番組が放映されるらしい……)。
 そしてそのテンダーにして、トークには限界がある、とのことなのでした。トークによって興味深い知識や面白い情報を提供できたとしても、それが聞き手の生き方の向上に直接的に結びつくかどうかには微妙なところがあって、しかしある種の音楽には、それを聴いた人にその人が持っている希望的なパワーをストレートに引き出すような力をもっていることがあり、それが「愛と光」の音楽にはある、とのことでした。
 しかも今回は、テンダーの思い(作詞)と「愛と光」の音楽(作曲と演奏)が合体し、さらには「火起こし」という1万年以上も前に創られた実践的な技術を組み合わせた音楽を伴う伝承があって、なんだか、ゾクゾクするような体験でした。シカの解体をしたときに味わった、あの脱皮感、ひと皮向けておとなになったような感覚をここでも味わうことができたのでした。

↑こちらはイベントに駆けつけてくれたルポライターの新井由己さん。軽ワンボックスという限られた空間をオフィス兼寝室として使用し、電力会社からの電気を使わずに暮らすオフグリッドな人たちを全国に訪ね、取材してくれています。後ろのクルマは取材車であると共に新井さん自らが暮らす軽バン。屋根にソーラーパネルが取り付けられ、照明やパソコン、取材機器の充電などはそのパネルで発電した電気で行われています。
 写真のペケ台(サブロクの合板を半裁しX型に組んで足にした大工さんが現場用として愛用する作業台)も積まれていて、天気のいい日には、渓流沿いの草原や、海辺の砂浜が仕事場になることもあるそうです。木製の収納箱が椅子にも、ベッドの一部にもなるというアイデアも画期的。人によるかもしれないけれど、私にとってはヒルズのオフィスなんかよりもはるかにいいなぁ。こうしたことの感覚の違いは何から生まれるのだろう?
 ところで、今回のイベント、個人の家で行われたのでイスが足りなくて、持ってこれる人は自分の座るイスをお願いします、と声を掛けさせてもらいました。そんなわけで、いろいろなイスが集まったのだけれど、極めつけはやっぱりこの椅子(でもまだ作っている途中とのこと)。

「せまいのできるだけスペースを取らないイスを!」と呼びかけたので、野口さんの作品の中では、かなり小さめ。だけど、やっぱり存在感があります。そして座り心地が素晴らしくいい。

 野口さんは自由の森学園の美術科の元教員(担任はもたなくなったけれども、いまも非常勤では関わってはいるそうで、高校生たちが木を削っていたらクマバチがでてきた、というエピソード(それがまた別の学びにつながる)を紹介してくれていたりします)。野口さんの授業は「(木との)対話」が基本。まずは森に入って、作品を作るための木を見つけるところから始まります。
 そして、チェーンソーを使わない、ということも特長のひとつ。大切なのは「向きあう時間をしっかりと取る」ということ。つまりは「時間をたっぷりと使う」ということ。
 これは強烈でした。「スローライフ忙し症候群」に取り憑かれてしまっている我が身を思いだし、ここでもなんだかひと皮むけるためのヒントの言葉をいただいた気がしました。



 ところで、今回、一番遠くから来てくれたのは、素晴さんでした(ブログはこちら)。太平洋ヨット横断最年少記録を持っていたり、引きこもりがちな私とは距離的な感覚や移動に対しての捉え方がかなり違い、刺激を受けました。しかもできたてホヤホヤの天ぷら廃油自動車で鹿児島から走って来られたのでした。

 日本海からタイをたずさえてやってきて、さっさとさばいてカルパッチョを作ってくれたかと思うと、(前の晩は一番最後まで話していたのに)翌朝は早くに起きて(真っ赤な目をこすりながら)おにぎりを結ぶのを手伝ってくれたり、なんともカッコイイ男なのです。

↑天ぷら廃油カーに乗る人達はなぜか変わり者が多く、人と違ったことをやりたがる傾向が強いように思うのですが、しかしこのユニーク度はまた別格です(この写真だとロープで固定されているだけのようにも見えてしまいますが、鉄で作ったフレームの上に横幅を詰めた燃料タンクが固定されています)。
 天ぷら廃油をディーゼル車の燃料にする際、一番の問題は、軽油に比べて天ぷら廃油は粘度が高い、ということ。この問題を解決するための基本的な対策として、燃料タンクをエンジンの近くに置く、そして配管を太くする、というのがいいのだけれど、このふたつが誠実に実行されています。

↑さらには果敢にも、軽油と天ぷら廃油の切り替えに、中国から直接取り寄せた電磁弁ではなく、電動弁(ソレノイドで弁の切り替えをしているのだろか)を使っていたり。
 そしてこちらの青いバケツは、旅先で使える携行用の濾過装置。

 キャンプ用の折りたたみバケツの底に自動車用のエアクリーナーが取り付けられているのでした。

 そういえば、テンダーもピカレも天ぷら廃油カーに乗っていて(最近自分で自作していて)、WVO(捨てられているものの価値を開く)仲間でもあったりします。テンダーの天ぷら廃油カーに関してはこちら、ピカレはこちらからどうぞ)。


 距離では素晴さんに負けるけど、日本の天ぷら廃油自動車の第一人者である和田さんもお忙しい中、大阪から天ぷら廃油のゴルフではなく、電気自動車の軽自動車で駆けつけてくれました(このあたりがまた先進的)。途中、予定していた高速パーキングの給電所が故障していて、次のパーキングまでは電気が持たず万事休す!かと思われたのですが、持ち前の機転を利かせて、反対側のパーキングに入り、どうにか電気をつなぎなたどりついたとのこと。しかもたくさんのファイヤーを差し入れに携えてやってきてくれました。和田さん、森本さん、ありがとうございます。

↑加子母(岐阜)のもりのいえのかまどを使い、厳選された材料で、ひとつひとつていねいに手作りされている大辛ソース、ファイヤー。焼き鳥、春雨サラダ、味噌ラーメン、納豆……、なんにでもあって美味しくて、困ります(あとでお尻が)。
 実は今回のイベントの案内に、今年はお客さんが多くてお米が早くも底をついてしまいました、とチラッと書いたら、多くの方がお米を持ってきてくださいました。中には玄米とともに精米機まで持ってきてくれて、ウチに精米機がないと聞いておいて行ってくれた方もいらっしゃいました。ありがとうございました。
 今回のイベントの参加費とおひねりは、出演された方たちの交通費とさせていただき(ゴメン、それでも足りなかったよねぇ)、ウチはお金ではいただかなかったのだけれど、でもそれを察知してか、たくさんの差し入れをいただいてしまいました。
 このあと、愛と光(ベースのケイジュさん)とテンダー、それに素晴さんたちは、道志で行われたナチュラルハイに出演。ライブやトーク、それに素晴さんは、6寸釘を材料に、七輪とフイゴで焼入れ処理してナイフを作るというワークショップを行うために道志に向かったのでした。
 一方、我々は、ライブ&トークに参加してくれていたシャロムの臼井さんに誘われて(和田さんなんかはまるで拉致されるようにして)、安曇野パーマカルチャー塾に向かったのでした。

 そこでは、ゲストとして沖縄からいらしたあーりーさんによる「軽トラキャンパーの製作とそれを使った旅の話」つまりは「夢と希望に満ちた自立的な旅の話」で盛り上がりました。

↑あーりーさんが軽トラキャンパー(マイマイ号)をつくるにあたって考えたというテーマ。「動く非常用持ち出し袋」も斬新だけど、「小さく暮らす」と共に、「都会(でもできる)自給自足」という視点がとても新鮮でした。

 そして軽トラキャンパーとは直接関係がなさそうに見えて、でも実はとても深い関係にあるのが、新井さんが提案する「お金のいらない島の構想」つまりは「シェアエコノミーの実践にむけた現状報告」。それに託けて「できるだけお金によらない我が家の貧乏くさい(けれども本人たちにとっては楽しい)暮らし」などもチラッと紹介させていただきました。
 そしてこの時始まった「自立」「依存」「分業」「効率」などをキーワードにした情報交換は、いまもネット上で静かに続いていて、「自立」の対義語は「依存」のように言われているけれど、「自立」というのは実は「依存」が集中せずに多様化した状態のことを言うのではないか? などといった面白い話もでてきていたりします。

↑これは新井さんから、食事代の代わりにしてください、ということでいただいた給食用のアルミのトレイ。 我が家では大人気で、家族で奪い合いになっています。しみじみシェアエコノミーというのは、単なる物々交換ではなくて、「気持ちの交換」なのだなぁ、とも思いました。
 もうひとつ、ついでに書くと、イベントの当日、人がたくさん集まったので、トマトハウスの移動をお願いしました。トマトはナス科なので連作を嫌います。そこで毎年場所を移動しているのだけれど、家族3人でやるとどうしても途中で歪んでしまって、途中であえなく撃沈、分解バラバラになってしまうのでした。人が多ければそれぞれの人に一本ずつ支柱をもってもらうことでバラすことなく、このままの形で移動ができるのではないか?という試みでした。

 で、結果は大成功。ひとりではできないことも、人が集まりみんなでやることで、簡単に出来てしまうこともあったりします。サービスや労働も対価になりうるし、あるいはすべてを対価でカウントしない、というありかたもありだと思います。

↑いまはトマトの植え付け真っ最中。トマトはすべて自家採種で種類は10種類以上、苗は200本以上あるのですが、これくらいあると、冬場の保存食として有効で、雪に閉ざされ孤立したとしても、いつもと変わらない豊かな食生活を楽しむことができたりします。


 そしてもうひとつ、こんな素敵なモノを安曇野パーマカルチャー塾でいただきました。

「朝は希望に起き、昼は謙虚に生き、夜は感謝に眠る」
いい言葉だなぁ。、