完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


植物による太陽エネルギー固定の、効率の話

 今朝、日の出の頃の鳳凰三山。写真ではわかりにくいけど、空気全体がピンク色に着色されたような朝でした。

 そしてきょうはお隣の別荘のマツの木の伐採の日。大型クレーンやゴンドラを駆使して、夕方前に無事終わりました。

 ここ数十年、化石燃料の普及により、日本列島はかつてないほどの森林飽和の状態が続いています。成長した樹木による太陽エネルギーの有機物返還率があがってしまっているためか、ここ数年、樹木の成長が著しく早くなっているような感じがします。
 落葉樹も、そして常緑樹も、毎年、たくさんの葉を落とします。そしてその落とした葉が、自分の栄養にもなっていくわけです。もしかしたら松枯れも、そんな生態系のバランス感覚と微妙なつながりをもっているのかもしれません。
 今回の伐採作業、マツの木が東電の電線に掛かっていたので、個人の持ち出しはないようなのですが(総括原価方式のなせる技とも言えそうですが)、周囲の別荘では、大きくなりすぎてしまった木を切ることができなくなってしまい、別荘自体を手放すことになってしまうなどということもあったりします。
 ある程度の大きさに成長してしまうと、木の成長点を止めるという作業はプロの植木屋さんにとっても難しい作業。そしてそんなことにおかまいなしに、木々は年々どんどん大きく成長してしまうし、そのあたり、なかなか難しい問題をかかえています。