「熱い胸と冷たい頭」の話。

 今年中学や高校を卒業した卒業生が入学したのは3年前、つまり311のあった年の4月。卒業式でもし311のことを語らなかった校長がいたとしたら、それは教育者としてモグリだと思う。
 鬼沢さんから新井さんへ、自由の森の校長は変わったけれど、卒業式での自由の森の校長の話、相変わらず胸を熱くします。

↑写真は今年のジモリの卒業式のひとコマ(自由の森日記から拝借)。主役は卒業生なので卒業生が壇上に。卒業生ひとりひとりが校長から卒業証書を受け取る。卒業生、在校生、教員、みんなが納得いくまで伝えたいことを伝え納得がいくまで卒業式をやるので、6時間くらいかかることもある。


以下、自由の森日記からの転載

卒業生のみなさん 卒業おめでとうございます。
保護者のみなさん、お子さんの卒業おめでとうございます。そして、これまでの学園に対するご支援とご協力に感謝申し上げます。

私は今日、校長として初めて、みなさん一人ひとりに卒業証書を渡しました。
証書を受け取る一人ひとりの表情はとても晴れやかで輝いていました。とてもいい時間でした。

さて、みなさんが自由の森に入学したときのことを私は鮮明に覚えています。それは、2011年4月11日、あの3.11大震災と原発事故からたった1ヶ月しかたっていないときの入学式でした。
延期していた自由の森学園中学校の卒業式が行われたのは4月2日、この日はようやく八高線が全線で運転を再開した日でもありました。
本当だったら春休みの期間をかけて準備できるはずだった入学式の準備が再開できたのも、この日以降でした。
みなさんを迎えたあの入学式は、まさに非常時の入学式だったと言えるでしょう。だからこそ、ひとしお強く私の中に残っています。

入学した後、みなさんのなかには、この震災と原発事故の問題に向き合っていった人が多くいました。
直接被災地に足を運びさまざまな活動をした人たちもいました。
外遊びのできない福島の子どもたちを自由の森に来てもらい一緒に遊ぶという活動に参加した人たちもいました。
福島の小学校の子どもたちのアートパフォーマンスをボランティアとして支えた人たちもいました。
原子力発電所放射能の問題に取り組んでいる人たちもいました。
誰もが、この震災と原発事故の問題を心のどこかに位置づけて物事を考えていった、行動していった、そんな3年間だったのではないでしょうか。

あれから3年が立ちました。
しかし、3年しかたっていないにもかかわらず、また、何ら解決に向けた糸口が見つかっていないにもかかわらず、このことが風化しつつあることに危機感を抱いているのは私だけではないでしょう。様々な不安や疑問、なかには怒りのような感情を持っている人もいるかも知れません。

私は、この卒業に当たり、みなさんにひとつの言葉を紹介したいと思います。
それは「熱い胸と冷たい頭」という言葉です。
もともとはイギリスの経済学者マーシャルの言葉なのですが、日本において社会福祉学の草分け的存在の一番ヶ瀬康子さんによって紹介され、広く社会福祉に関わる人々に浸透していった言葉です。

「福祉に携わる者には、支援を必要とする人たちを思い、その力になりたいと願う熱い心熱い胸がなければならないし、また、その熱い思いを生かすには、どのような条件や方法や行動が必要かを見極める冷静な判断や科学的認識がなければならない」

この言葉は社会福祉に関わる人だけでなく、私たち一人一人に関わる言葉だと私は思っています。

そして、この言葉は、「様々な困難な状況に出会ったとき、この状況を何とかしたい、何とかしなければならない」と思う「熱い胸」はもちろん大切であるが、「熱い胸」だけで突き進んでいくこと、判断してしまうことの危うさを説いています。「熱い胸」を大切にしながらより深い実践を生み出すために「冷たい頭」が必要なのだといっているのです。
「冷たい頭」とは表面的なことだけで決めつけるのではなくその背景にあるもの、つまりは目に見えないものを見ようとすることだと私は思っています。
それは「新たに学ぶ」ということ無しにできないことでしょう。
そして、一番ヶ瀬さんはこうも言っています。
「熱い胸から出発して、冷たい頭で練り上げていきながら、熱い胸の生かし方というものを互いに深めていこう」と。

今までため込んできた知識や経験だけで判断していくこと、結論づけていくことに限界が来ていることは、先の震災・原発事故の例をあげるまでもなく明らかです。
「熱い胸」を抱き、「冷たい頭」で考えようとすることはつまり、学び続けていくことだと私は思っています。そしてその先に新しい考え方、新しいものの見方、新しい未来が見えてくるのだと思います。

自由の森学園の授業は、さまざまな知識を単にため込むのではなく、いろいろな視点からものを見ていくこと、自分の考えを打ち出していくこと、そして自分自身を問い直すことを大切にしてきたはずです。
こうした授業を通して、みなさんは自分で自分を育てること、自分をつくっていくことに取り組んできたのだと思います。
みなさんのなかには、自分はこういう事を大切に生きていきたいというものが少しずつ見えてきた人もいることでしょう。その大切にしたい何かは、ある人は命ということだったり、またある人は人権、平和、自由、平等ということだったり、地球環境、生き物、ものをつくること、表現をすること、人を楽しませること、子どもやお年寄りと関わること、食べるということ、など人によってそれぞれ違うことでしょう。
そして、その大切にしたいことは、学び続け、実践することにより、いずれ自分のなかで船の錨のような、重く確かなものになっていくのだと私は思っています。

21世紀に入って14年目を迎えました。私たちの前にはまだまだも多くの問題が横たわっています。特に今の日本社会の現実は、若者たちにとって厳しく困難な状況です。この荒波のような社会のなかで、少しぐらいのことでは揺るがない、しっかりとした自分の錨・重りを保ち、作りつづけていってください。

さて、最後に、3年前のあの入学式の時、その時の校長だった鬼沢さんがみなさんに送った言葉をもう一度伝えます。

学ぶことは仲間とつながること、学ぶことは社会に参加すること、学ぶことは自分自身を発見すること、これを胸に刻んで新しい生活を送って下さい。

健闘を祈ります。
卒業おめでとう。

自由の森学園 高等学校
校長 新井達也