完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


きょうは、七草

 けさの最低気温は氷点下8.9度でした。マイナス8.9度Cがどのくらいの寒さかと言うと、深呼吸をすると肺がキュンと痛くなるくらいの寒さです。
 というわけで、本来は七草粥、朝食にいただくもののようですが、朝は畑のアオモノがカキンカキンに凍っていたので、夕食に七草粥にいただくことになりました。

↑やっとどうにかそろえた畑のアオモノ。カラスノエンドウだとか、ハコベルッコラなどとりあえず食べられそうで緑色のものを集め、それに韓国で買ってきたエゴマ油をちょこっと垂らして、いただきました。

↑これが韓国の油屋さんにあった絞り機。韓国にはローカルマーケットに油絞り屋さんがあって、絞りたての油を手に入れることができたりします。絞りたての油は香りが違うのです。日本にも市場に、こうした油屋さんが復活するといいのになぁ。
 エゴマ油入りのお粥も十分に美味しかったのですが、でも正直に白状すると、二杯目にいただいた、お塩だけのお粥の方がもっとおいしかった。美濃戸に住む大工さんが無農薬で育ててくれたお米を時間をかけてコトコト炊き、南伊豆に住む友達が海水からていねいに作ってくれた大きな結晶のお塩。ウチでも作ったことがあるけれど、こんなに大きな結晶にはならなかったなぁ。この組み合わせ最高でした。トヨさんノリナさん、ありがとうございました。
 七草粥は、お正月のご馳走で疲れた胃を休めるためにあるといいます。
今年のお正月、一番おいしかったのは、これでした。

↑大分に移住された中村海彦さんが、送ってくれた牡蠣。これを薪ストーブの燃焼室で焼きました。貝から汁が出てきたら、お酒とお醤油をほんの少し垂らし、汁が再び貝の身に浸みこんだら、その後それを香りのいい木(今回は栗の枝)で少しいぶし気味に焼きます。

↑貝殻の中の水分がなくなったら、身を取り出して、ガーリックと唐辛子、それにローリエなどのハーブを加え、オリーブオイルで炒めます。貝のそれぞれの部位がそれぞれに美味しくて、これ、ワインのあてに絶品。ワインも普段飲めないような美味しいワインを下関の友達が持ってきてくれました(キョーピンありがとう!)。


 ところで今年は寒さが厳しく、畑に緑色のものがほとんどなくなってしまっているので、急きょ、ノラボウやルッコラに冬囲いをしてやることにしました。

↑材料はすべて廃材。でも毎年使えるように少し凝った仕様で作ってみました。
骨組みは家屋の解体で以前にいただいた古障子。これを補強した上で、外側にトタンの波板を張ります。そして内側にソーラーパネル用の梱包材として送られてきた発泡スチロールの薄板を挟み込みます(白い部分は障子紙ではなくて発泡スチロール)。

↑その上にダンボールを張ってみました。

↑で、出来上がった冬囲いは、こんな感じ。寒さで黒に近い紫色に変色してしまったノラボウ、果たして復活するでしょうか?


廃材と物々交換で、楽しむ暮らし。
気温が低くても、美味しくて、楽しくて、気持ちが暖かくなります。