Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


地域通貨わくわくの収穫祭と魂のアバンギャルド


 山の少し上の方は、すでに落葉。里山にちょうど紅葉が降りてきた、というそんな日、澄み切った秋の光の中、地域通貨わくわくの収穫祭が行われました。薄っすら煙がたなびいているのが分かるでしょうか? 里山に囲まれた田んぼの一番奥にポツリとある、おおえまさのりさんの家で行われました。

 教子&ターボさん、いつも素敵な音楽、それに音響設備を提供してくれて、ありがとうございます。今年は音楽を奏でてくれる人が多くて、とても充実した収穫祭でしたね。

↑宇々地さんたちによる縄文音楽。2連のディジュリドウが圧巻でした。
 ところで、ここ白州町下教来石には、日本武尊が座ったと伝わる「教来石」と呼ばれる大きな石がいくつかあります。そのひとつがここ、おおえさんの庭にある大石。宇々地さんの奏ずる石笛の音がこの大きな石に共鳴しているようにも感じられたのでした。

↑これがその大石。割れ目から大きなエノキが生えていて、夏になるとオオムラサキがこの石の周囲を舞います。登っているのはサルではなくて、ヒトという生きものの幼生。

 岡山に移住されたとっとさんも、チャイの屋台をやってくれました。わくわくメンバーとの久しぶりの再会にいつも人の輪ができていました。

 おおえさんの家のカボチャたち。展示したくなる気持ちがよく分かります。こぼれ種や生ゴミ堆肥からも発芽するし、カボチャってホント、存在自体がアートだよね。

 地域通貨わくわくにはいくつかの部会があり、農部会では311以降、福島支援田んぼという取り組みをしていいます。(クリックすると写真が少し大きくなるので読めるでしょうか?)

 本物のぬかくど、自作のペール缶ぬかくど、千代田のかまど、炭焼きストーブ……、我が家にある火遊び道具をフル稼働させ、フィリピン料理の汁掛けご飯チキンティノーラと、南インドのフィッシュカレーのお店をやらせていただきました。

 盛り付けしたところの写真を撮り損ねたけど、チキンティノーラはぬかくどにで炊いたご飯の上にこのスープを掛けていただきます。レモングラスの生葉が香る魚醤ベースのやさしい味の汁掛けご飯です。

 こちらは炭焼きストーブ。酸素の少ない還元に近い状態で木っ端を燃やし、それを蒸し焼きにしながら未燃ガスを二次燃焼させるという発想で試作した自作ストーブです。

 こんな風に、お鍋の中の具材を、チロチロ弱火で暖めるのに適してします。上のパイプは、二次燃焼用の空気を外から供給するためのもので、パイプの側面に直径3ミリの細かな穴があいていてそこから新鮮な空気(酸素)が供給されるという仕組み。 
 今回は夜の部もありました。日が暮れて暗くなる頃から、インディアンフルート奏者である、かつみさんの演奏が始まりました。
 ミュージシャンとして「なにか力になれないか?」という思いで311の被災地をまわったときの話をしてくれました。避難所の体育館に行ったはいいけど、被災された人の話を聞くうちにあまりの悲痛さに何もできなくなってしまい、逆に体育館の片隅で楽器を持ってうずくまっていたら、子供たちがやってきて「タイコ叩かせて」と。何人かの子供に、ひとつのタイコをみんなで叩くタイプのインディアンドラムを叩いてもらったら、その体育館にいた子供たちが次々に集まってきて、みんなで音をそろえ、満面の笑顔でたたき出し、それを見たお母さんたちがボロボロと涙を流した、という話を聞き……そしてその同じ、インディアンドラムを叩かせてもらいました。

 心臓の鼓動と同期するのでしょうか? 強くなったり弱くなったりしながらもだんだん音がひとつに重なっていきます。


 そして最後は、今回のメインイベントとも言えるおおえまさのりさんの映画の上映会。新しく執筆された『魂のアヴァンギャルド―もう一つの60年代』の出版記念を兼ねた企画で、1965年におおえさんがアメリカにわたり、製作された映画がいくつか上映されました。見入ってしまって撮影するのを忘れたのですが、どれも衝撃的な映像。
 一度に6つの別々の映像を流して、その同時代にさまざまなことが同時に起きていたということを演出する?ドキュメンタリー調の映像は、特に印象的でした。ベトナム戦争ビキニ環礁での核実験の映像などを見ると、昔からぜんぜん変わっていないな! という思いと同時に、町を埋め尽くすデモの映像などを見るにつけ、もしかしたら無関心にさせられてしまっている人がこの頃より今の方が増えているのではないか? という思いも浮かんできて、映像が終わった後も、頭の中をさまざまな思いが駆け巡ったのでした。

追伸:お月さんこと高島さんが映像入りのブログをアップしてくれました。
http://tukinonini.blog33.fc2.com/blog-date-20131123.html
↑こちらもぜひどうぞ!

追伸2:
インディアンドラムのシンクロとはこれぜんぜん違う話だけど、
不思議ですよねぇ。
最後の方まで頑張っているメトロちゃんがなんだかいとおしい……。