完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


稲刈り、終わりました。

 この秋はいろいろありましたが、どうにかきょう、稲刈りが終わりました。
とはいえかなりの部分は娘が刈ってくれました。
 バインダーというひと昔前の機械を使って刈りました。調子がいいときには「ガチャン」という音とともに稲藁が結束されて放り出されるのですが、エンジンに力がないので、「ガチャン」と結束できず「ウッ」という音がして詰まってしまうことがあります。その場合はそれを瞬時に判断して走行を止め(のろのろしているとダメージが大きくなってしまいます)、走行ギアを一度ニュートラルにして負荷の少ない状態で結束だけに集中させ、エンジン全開で「ガチャン」とさせます。状況に応じて時には少しバックさせて下に草がないところまで移動させてから「ガチャン」を促したり、機械がオンボロな分、技術が要るのだけれど、悔しいことに若いと飲み込みが早い。また、結束ミスを察知するセンサーも敏感だったりします……。
 ほぼ放任栽培ではあるけれど、気がつくといつのまにか成長していました、稲も、娘も。