Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


2013年09月10日のツイート


■不起訴を受けての武藤類子さん(福島原発告訴暖暖長の暖話■
検察による「全員不起訴」の判断に対して大きな驚きと憤りを感じています。
私たち福島原発告訴団が告訴・告発した33名+1法人全員が不起訴とは信じ難いことです。

私たちが何度も何度も要請した「強制捜査」はとうとう行われませんでした。
果たして検察は捜査を尽くしたといえるのでしょうか。

検察には、被害を受けたものたちの悲痛な叫びが届かなかったのでしょうか?
たくさんの命、家、生業を奪い、地域や家族を引き裂くという、言葉には尽くし難い甚大な被害を招いた電発事故の責任が、誰も問われないのですか? 日本は法治国家と言えるのでしょうか?
汚染水や甲状腺検査結果など被害は更に拡大しているのです。

この事故の原因を明確にし、責任を問うことは、被害者が正当に救済され、新たな日本社会と新たなエネルギー政策の構築のために、何としても欠かせないことなのです。
検察は被害者の声を無視し、その責務を放棄したのだと思います。

検察の判断に強く抗議するとともに、私たちは「検察審査会」への申し立てをします。