完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


制服や校歌がない自由な?学校の根幹にある自由

 自由の森の校長としての最期の卒業式にのぞんだ鬼沢さんが生徒に話したこの言葉、……しびれました。

「教えるべき内容を政府が決め、教師はそれを噛み砕いて(あるいは競争させて)生徒に教えこむ、こんなのは(本質的な)教育とは言えません!」
(↑ちょっと勝手に、私が噛み砕いてしまっていますが……)

 モノゴトを自分で考える人たちからすると、こんなことは「アタリマエ」のことで民主的な国家のためのスタンダードだとも思うのだけれども、でもいまの日本の多くの学校の現場では、どうもこれが「アタリマエ」には映っていないようなのです。
 でもそうやって考えると、安倍の支持率が異様に高いことも分からなくもない……。

 退職される教員の方がいらして、その方たちが卒業生や在校生に向けて行うスペシャル授業が先日、ジモリであってそれに参加した娘が、緑色の小冊子(自由の森通信)をもらってきました。
 久しぶりに受けたジモリの授業は素晴らしかったようなのですが、それと同時に校長がこんな言葉を発することのできる自由の森のような学校が貴重な存在になってしまっている日本の未来に、ちょっと危機感を覚えたのでした。

写真をクリックすると大きくなります。はたして字が読めるだろうか?

パソコンの場合、コントロール+プラスキーで画面を拡大できるけど……。

拡大しても読めない人が多いようなので以下に三分割したものを添付します。
これなら拡大すれば読める? ぜひ多くの人に読んでいただきたい内容なのです。



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