Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


配電盤の事故は、実は東電からのメッセージなのではないだろうか?

 現場作業員の方のつぶやきを見ていると、なんだか今回の配電盤の事故は、東電からしてみれば十分に想定内で、東電は起こることを想定し、ちょっとうがた見方をすれば、自民党政権になってますますひどくなってしまった現場環境を、東電は国民に訴えたかったのではないか?とさえ、思えてくる。
 今回の補修は、仮の配電盤の不具合箇所を仮配線を施しジャンプさせたわけで、今後も、いつ壊れるか分からない仮設を仮に修理した「仮設の仮設」が使われるわけだ。
 以下は今回の事故に対する某メディアのコメント。
「事故当初は電源復旧を最優先するために仮で対応することは仕方なかったとしても、早期に配電盤を専用のものにしなかった東電の危機管理の甘さがまた露呈した」と書いている。
 なぜ仮設の配電盤を2年もたつ今も使っていたのか?として、東電を悪者にしているが、現場はどうもそんな状況ではないらしい。主要電源に限らず、冷却水の配管にしてもほとんどすべてが仮設だし、現状の設備で仮設でないものなんてほとんどないらしい。

↑今回事故を起こした配電盤。2年前の事故当時トラックと共に設置された。

 以下は、現場作業員の方のつぶやきより。

そもそも、なんで恒久対策や本設化にしないのか?って、みんな不思議だよね。オイラが考える理由は、まず本設だと国の許認可が必要で時間がかかる。本設だと国の検査が沢山絡み時間がかかる。トラブル対応、対策も国が絡み簡単には対処出来なくなり、非常に時間がかかる。

 国が絡む事は法律が絡む。時間がかかるという事は予算がかかる。アルプスの工事や乾式容器貯蔵施設工事を見てもわかるんだけど、本設工認だと国の検査は現場が切羽詰まった状況でいくら工程が遅れようとも関係ない。確かに安全第一だけど、対応があまりにも遅すぎる。

 収束作業は東電から切り離して国営化するべきだよ。東電が民間企業である限り利益は追求するはず。税金が投入されるとは云え、東電の借金。民間企業なら借金は作りたくないし、コストをギリギリまで抑える。1Fの工事案件のほとんどが競争入札なんておかしな話だよ。

 競争入札じゃ元請企業もコストの叩き合いだし、作業員単価にも跳ね返ってくる。新しく1F正門前に、出来る入退域管理棟やアルプスの保守・運転管理も競争入札。落札企業は単価の安い作業員を使わざるをえない。それは熟練熟知のベテランや高い単価の人間は雇用出来なくなるという事なんだ。  (引用終わり)


 福島第一原発廃炉作業はこのまま東京電力という民間企業に、依頼しておいていいのだろうか? 東電は一度破産させたのち発送電を分離した上で更生させることにして、少なくとも廃炉作業は、これまで原発を推進し民間企業である電力会社をその方向に誘導してきた国が、責任を持って行うべきなのではないだろうか? 現場やその周辺で働く人たちの多くは、実はそう思っているのではないかと思う。
 日々、命を削って作業を行ってくれているのだ。東電という企業の存続なんて、もうとっくの昔にどうでもいいと思っているに違いない。しかしいまは、政府もメディアも邪悪なことすべてを東電に被せ東電を「いけにえ」として使うことで、それとはまったく逆の方向に向かっているように思えてならない。
 会見でいかにも不機嫌そうに返答をしている東電の広報者たちを見ていると、そう思えてならないのである。