完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


気持ちが伝わるチカラ

 戦争にならないための「抑止力」とはいったい何だろう? 人類が全滅してしまうような大量破壊兵器を持つこと? それよりも、もっと強くて効果的な方法があるような気がする。それは素直な気持ちを相手に伝える表現力ではないだろうか? 軍事力にどんなにお金をかけても、伝えるチカラが足りなければ戦争は起こってしまう。紛争もなくならない。争いたくはないという気持ちを伝えるチカラ、それが一番大切で、これ以上に強いものはないと思う。


 ウクライナの少女によるサンドアニメーション……おおむらまさひこさんのコメント共にシェアさせていただきます
 ウクライナの少女が大祖国戦争をテーマに見事な砂絵の物語を描く。こういう表現があるのかと見とれてしまった。観客の涙をみて、過酷な戦場となったウクライナのキズの深さを感じた。ラスト、窓の外を覗く幼子の姿がガラスに映り、今は亡き恋人の面影に重なる。そして「あなたはいつもそばにいる」の文字とともに物語は終わる。観客の涙は、砂絵に綴られた文字が、多くのウクライナ人にとって彼ら自身のまぎれもない経験なのだということを暗示している。含まれた意味の深さに胸を突かれた。また、この少女の表現力を支える市民の意識を感じた。