完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


投票前夜に思ったこと…… 「ボクらは薄着で笑いたい!」

 なにか後ろめたいことでもあるのか、投票が近づくにつれて、公約であった「原発推進」や「憲法改訂」に関して口をつぐんでしまった政党があります。
自衛隊のような組織があるのに、憲法9条があるのはおかしい……」「整合性がとれないから憲法を改訂すべきだ」というのが彼らの考え方のようなのですが、私はこれに反対です。解釈を変えるなどしてごまかしながら9条に沿わないような方向に徐々に日本のシステムは変えられてきてしまった連中がいたわけですが、しかしこれ以上のごまかしが効かなくなり、憲法を変えようと言っているように私には見えます。憲法はこうした権力者が暴走しないように縛り付けておくためにあるものだと思っています。
 だからそういう点では、憲法9条にある戦争放棄の宣言は、これまでとても役に立ってきたと言えると思うのです。もしベトナム戦争のとき、日本に憲法9条がなかったら日本は確実に(アメリカの都合で)ベトナム戦争に加担させられていたでしょう。お隣の国、韓国のあのときのことを知ればそれは一目瞭然です(公立の学校ではなぜかその時代のことを詳しく教えないのですが…)。アフガンへの攻撃も、イラク戦争も、日本に9条があったからこそ、最小限の加担で済み、歯止めにもなっていたのです。

 現在の世界の情勢は、いじめの構図とよく似ているように思います。暴力と金を手にした連中が、ケガをしないように何枚も防具を重ね着した上で、勝てると分かっている弱いものいじめだけをしてきたように見えます。それでもケガが絶えないので、手下に代わりにケンカをさせることを思い立ち、その上、防具や武器を手下に買い取らせれば小遣い稼ぎもできる、ということに気が付きそれを実行している、というのがいまの状況ではないでしょうか?
 そんな仲間に組み込まれてはいけないと思うのです。いつでも闘えるようにと厚着をしている連中を見かけたら、「おいお前たち、何、やってんだ、カッコ悪いぞ!」と薄着で笑ってしまうのがカッコイイと思うのです。現にいま、素晴らしい憲法を持っているのだから、野蛮に走りがちなそうした愚連隊の連中をなだめすかし、彼らがうらやむような素敵な社会を作ることがいまの日本の使命のように思います。
 良かったら、ぜひこの曲、聴いてください。生きていてくれたらなぁ、なんていうんだろう、いまのこの日本の状況を……。