完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


ふきのとう……の茎の、美味しいいただき方

 タラノメが取れ始め、サンショの若芽のおひたしが美味しい季節になってきました。毎日のようにウコギを採集し、山の恵みカンゾウやウルイも美味しくいただいています。でも我が家の食卓ではまだ、ふきのとうも健在!
 いまどきのふきのとうは、身長30センチ以上、綿毛をつけて早春の頃とはまったく違う風情なのですが、この頃のふきのとうの茎がまた、独特のくせがあって美味しいのです(茎だけで花の部分ははずします)。
 普段はバターソテーでいただきますが、今回はシイタケがたくさん採れたので、タラノメとあわせ、ペンネのペペロンチーノでいただきました。そう、最近のもうひとつのお気に入りがこのペンネ。自由の森の食生活部に勤めるSさんから教えていただいたのですが、さすが。粉の味がしっかりしていて歯ごたえが良くて、とても気に入っています。ありがとうございます。

 このあと、パルメジアーノの粉チーズをかけていただきます。白い円筒形がペンネで、緑色の円筒形がふきのとうの茎。
 付け合せは、色の薄いほうがウコギのおひたし、濃いほうはサンショの若葉の佃煮。この時期のサンショの葉は、電子レンジでドライにして粉サンショとして使うと、素晴らしくいい香りで、朝倉山椒以上かも? また、サッと茹でたおひたしもこの時期ならではの味わい。思い出すだけでなんだかお腹がすいてきます。

 それとそうそう、自森つながりの話題をもうひとつ。自森を今年卒業?された教員の上野さんが、日高で「日月堂」というとっても素敵な石窯パンのカフェを始めました。オープン前に、私たちがお訪ねしたときには、小麦の種類をいくつか替えて同じようにカンパーニュを焼いてみて、その出来の違いを楽しんでいました。とても研究熱心で、もの凄くマニュアックなカンパーニュの専門店になりそうな予感があります。

↑トレードマークの帽子をかぶっているのが上野さん。自森の石窯も上野さんが生徒たちと一緒に作ったもの。卒業後も講師として選択講座「持続可能な社会のつくり方?」は受け持ってくれるそうです(ジモリの選択講座、ホント、面白そうなものが多いんだよなぁ)。
 そして写真の左の女性は、(いまや日本だけでなく)彼女をモデルとしたアニメの影響もあって韓国でも有名になりつつあるワルンロティの大和田さん。お父さんが幻のパン用小麦コユキ(少し育てにくい面もあるけど、パン用としては独特の香りがあってとても美味しい)の開発者でもあり、その小麦の魅力に魅惑されワルンロティというパン屋さんを始めてしまった、という方です。当日はコユキで仕込んだ(かなりやわらかい)自家製のタネを持ってきてくれたのですが、ほとんど打ち粉もふらずまるで手品のような手さばきで美しい形にしてしまったことに皆、驚かされたのでした。
 写真の右は白州でコユキをつくる嘉山さんご夫妻。トマト作りの名手でもあり(数が少ないので秘密にしておきたいのだけれど……霜が降りる頃にとれる嘉山さんのトマトは絶品!)、また、日月堂では嘉山さんのコユキを使ったパンも提供する予定。

↑これが上野さん親子が自作された石窯。目地にモルタルを使わず、天井アーチも含め重力で締結されています。石窯だけでなく、日月堂の建物も棟梁+上野親子による作品。「貫き」を多様した伝統工法で、親子をはじめ、友人たちと一緒に左官したという土壁も見事で、この建物を見るだけでも一見の価値があります。

↑スサが表面に見えていて、表情豊かな荒壁仕上げ。塗り方や塗る人の技量によっても、さまざまに変化するのが楽しいとのことでした。やっと完成?したのだけれど、すでにこの風情。手作りはなんにしても時間が掛かるのです。