完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


登美の丘の桑の木

 八ヶ岳南麓の突端に登美の丘と呼ばれる美しい丘陵があります。このあたりはかつて、養蚕がさかんで桑の畑が多くありました。養蚕の衰退と共に桑の畑は手入れがされなくなり桑の林になってしまいました。個人では手をつけることができないくらいに荒れた畑が増えてしまい、圃場整備と呼ばれる公共事業によって大規模に改変される、というのがこれまでこのあたりに多いパターンでした。
 ところがこの登美の丘の場合は、少し違っています。いまある桑の木をどうにかうまく使えないものだろうか?と考え、桑の木から桑の実を収穫し、摘み取りを楽しんでもらったり、ジャムに加工したものを販売したり……、地元の商工会が中心となって取り組んでいます。そのための剪定枝が大量にでるのだけれど、薪として使いませんか? というお誘いを受けていただきにあがりました。

 周囲の景色に目を奪われると動きが止まってしまうくらいに美しいところでしたが、できるだけ脇目をせずにせっせと運び、軽トラの荷台を剪定枝で満載にしました。こうしたこともあろうかと思って我が家の軽トラは、板バネが一枚多い仕様(金太郎仕様と呼ばれています)に変更してあります。しかしそれでも板バネは「へ」の字型に反ってしまい、空気圧5kg/c㎡にもかかわらず、タイヤが歪みます。
 途中で崩れないようにロープで厳重に縛り、やっとひと段落。改めて周囲を見渡したのですが、本当に美しいところでした。近くで広域農道の工事が行われており、大型トラックの行きかう音が少々耳障りでしたが、トラックがいなくなると、静けさが戻りのどかな景色が心に沁みてきます。
 ところがこの登美の丘の中腹に、北部環状道路と呼ばれる自動車専用道路が通ることが決まっているそうです(ちょうどこの軽トラが止まっているあたりを通るようです)。しかもこのあたりは高架で通すとのこと。まるで高速道路のような立派な広域農道が今まさにすぐ近くに作られている最中だというのに、さらにその他にもまだ道路を作る計画とは……。道路を一本通すということは、自然環境に対してもそうだけど、そのために立ち退きを求められた人や立ち退きはまぬがれたものの目の前に道路が通ることになってしまった人など、多くの人の人生を大きく左右させるような出来事になる、ということ、もっと深く受け止めていただきたいと思います。原発と同じ。遠く離れた地から現場のイタミを感じることもなく、お金の力を使い冷房の入った涼しい部屋で計画を実行してしまっているのでしょう。大きく育ってしまった桑の木をうまく剪定をすることで、大規模な圃場整備によらず、いまある桑の木をどうにかうまく生かそうとしている地元の方たちの取り組みのことを、計画者たちははたして、どこまで知っているのでしょうか?