Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


にわとりのお肉をいただく、ということ。

 卵を産まなくなった廃鶏は一羽、30円で引き取られていくのだそうです。30円で買いとってもらうのではなく、業者のかたに30円払って引き取ってもらうのだそうです。
 いま、バングラディシュに「ペール缶ぬかくど」を作りに行っている臼井さんが、バングラディシュではペール缶はもちろん、モミガラもタダではなくお金を払って買うものだった……と現地からブログをアップしてくれています。モミガラは牛糞に混ぜて燃料にするなどして使われているそうです。日本で捨てられている多くのものがバングラディシュでは市場で売られている、つまり、日本では捨てられてしまっているものにもちゃんとに価値を見出し再利用している、ということ、このあたりにもいろいろ考えることがたくさんありそうですね。
 30円払って引き取られていく廃鶏の命をいただき、そのお肉を美味しくいただく……ということを、自由の森の中学3年生たちは考えました。でもこれは頭の中で考える分には美しく賢明な取り組みなのですが、しかし実際にやってみるとこれは、なかなかに過酷なことでもあります。
 鶏を美味しくいただくには、血抜きという作業をしっかり行う必要があります。血抜きをしっかり行うには、先に息の根を止めてしまうのではなく、最初に元気なうちに鶏の頚動脈を切り、その後、まだ動いている心臓の力を使って頚動脈から血をできるだけ出し、その後、心臓を止めてもらう必要があるのです。そんなむごいことをするんだったら「食べる側の人間が少しは我慢しろ!という声が聞こえてきそうですが、そういう人は血抜きに失敗した紫色の肉を食べてから発言して欲しいです。普段我々が手にするお肉屋さんやスーパーマーケットで売られている鶏肉は、いや、鶏に限らず、ブタも牛も、しっかりと上手に誰かが、血抜きという作業をやってくれていて、だからこそ我々は美味しくいただくことができるのです。
 まずは鶏舎に行って、鶏を捕まえるところから始まりました。自分で鶏を捕まえ、その捕まえた鶏の命をみずから断ち、いただきます。

↑今回の授業は「森の時間」という課外授業の中のひとつのコースとして行われました。自由の森の「森の時間」は、生徒がみずからテーマを考え、決めて、学びを行うという授業です。そして今回やってきた彼ら彼女らは「食と命」をテーマに「ニワトリの命をいただく」ということに、正面から向き合ったのでした。

↑頚動脈を切る際、押さえている手が緩むと、周囲に血が飛ぶことがあるので汚れてもいい格好で来て欲しい……と伝えました。そしたら、エプロンや割烹着、それに上下、雨カッパなど、思い思いながらもそれぞれが真剣に取り組んでいる姿が見えました。
 奥に見える山は八ヶ岳。厳しいミッションながらも、自然の美しさがやさしく、彼女や彼たちを包み込むのでした。つづきはコチラ