写真は「東北の鬼」、武藤類子さんです。
でも類子さんは、笑顔のとっても素敵なとてもとても優しそうな方でした。独立型のソーラーパネルを屋根に載せ、山の恵みを提供する「燦(きらら)」という名の里山喫茶をやっていた、とのことでした。「里山喫茶」という名前もなんだかとってもいい感じ。できることなら、原発事故などない状態でお会いして、太陽光発電のことだとか、キノコだとか山菜だとか、薪ストーブやぬかくどやロケットストーブの話なんかをしたかった……。
知らなかったことがたくさんありました。たとえば、武藤さんたち三春町の人たちは、(原発立地町から)三春町に避難してきた人たちから原発立地町村ではヨウ素剤が配布されていることを知った、とのことでした。そこで供給元である県に要求し、三春町でもヨウ素剤を分けてもらったそうです。それと同時に、混乱の中、三春町の三役や保健士などが集まって相談しその結果、すぐに飲んだ方がいい、との決断をくだし、三春の人たちは配布されたヨウ素剤をベストとも言える3月15日に飲むことが出来たのだそうです。
それと同時に、広報車を出して「放射性物質が降っているから、屋外に出ないように」との呼びかけを行ったとのこと。一方、そうしたことに気づかなかった?自治体では、断水のための給水の列に子供を並ばせてしまった、ところもあったとのことでした。
また、同じような線量の都市でも、ヨウ素剤を配ってもらえなかったところもあり、逆に、県からは(なんと!あろうことか、三春町に対して)「県の指示なくなぜ飲ませた!」と咎めるような声もあった、とか。聞いているだけでも思わず興奮して「なんたることか!」とこぶしに力が入ってしまったのでした。こうした混乱の中では、首長の意識の違いにより自治体によって住民の命の扱いに大きな違いが出る、ということを知りました。
また、本来であれば、一次産業の生産者も消費者も、それに避難する人も残る人も、いずれもたいへん辛い思いを共有する同じ被害者であるのにそれらを故意に分断させるような人がいて、その人たちの意図によりいまは分断が進んでしまっていて、それがとても悲しい、とのことでした。このあたりのこと、具体的な固有名詞をだして話すのが難しいことでもあり、そのあたりにも類子さんの優しさがにじみ出ていたように思いました。
最後に類子さんに花束をお渡ししました。福島で、古民家を改装し、「Taidaiの木」というこれまたとても素敵なお店をやっていて、そして武藤さんの「燦(きらら)」の常連でもあり、いまは八ヶ岳に避難されている小堀さんから花束が渡されました。歳をとったせいか、最近、涙腺がゆるくて困ります……。友が、親子が、家族が、いまもものすごくたくさんの方たちが全国各地で離れ離れで暮らしています。抱き合うふたりを見て、頭の中でそれらが重なり合い、そして、こんなに優しい人の心を鬼のように怒りでいっぱいにしてしまう現実を思ったら、あふれる涙を抑えることができませんでした。