完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


質素だけど豪華な朝食?の楽しみ

 自由の森の寮食(学食)の朝食は一部、バイキング形式だったりします。なんで知っているかというと、寮に泊めてもらったことがあるから(寝袋を持参すれば、保護者も寮に格安で泊めてもらえたりするのです)。
 で、翌朝、グルメだったり珍味だったりはしないけれども、質素で安全で美味しい食材が学食のテーブルに並びます。そこで初めて知ったのが納豆の中にいろいろな具材を入れていただく、という方法。もちろん納豆単体でも美味しいのですが、これがまたなんとも豪華で幸せな気分になれるのです。

 娘が卒業してからだいぶ時間がたちますが、我が家の食卓ではこの食べ方はいまだに伝承されています。写真は畑に自然生えしたアブラナ系の菜っ葉と塩昆布の細切り(これ定番)、それに自家製梅干(これも定番)、細かく刻んだネギ(卵とあわせるとネギのガスっぽさ?がなくなります)、それに平飼いされている健康で新鮮な鶏の卵と横浜からもらってきたユズ、そして小粒タイプの有機栽培納豆。食材としては質素だけれども豪華でこだわりがあって食欲を誘うお椀だったりします。
 シャロムの臼井さんや沖縄のマルジュンさん、それになかやのときさんなどの影響もあって、最近は朝食を故意に抜いたりしているのですが、たまにいただく朝食や昼食でこの納豆がでてくると、もうそれだけで幸せな気分になってしまうという安上がりなわたなべ家なのでした。
●食事を抜くことに関して・・・食べものの全体量を減らす(足るを知る?)のであれば、毎回の食事の量を少しずつ減らすより、一食抜くほうが楽なように感じます。食事をときどき抜く方が免疫力があがるとの説もあります(生物は全般に飢餓状態の方が生体防御効果が活発になったり、受精しやすくなったりする?……ラマダンなどの断食もそうした効果を狙っているのかもしれません。でも成長期の若者にはお薦めしません。それに48時間以上抜かないと、効果がないとの説もあります。
 ただ、三食毎回、バランス良く食べることが健康にいい……という説に疑問を持ってみるのも面白いかも? 人をはじめとした動物はこれまでの長い歴史の中で、そんなに都合良くいつもバランス良く食事なんてできかったはず。だからそのための能力が備わっている、とも考えられないでしょうか? 
「朝食をしっかり食べよう!」というのは、ひょっとしたら大量消費のためのプロパガンダだったのではなかったか? なんて風に疑ってみるのも面白い……なんて思いも少しあったりします。二食にすると、時間と食料(お金)が思いのほか節約できることにも驚いています。それに……二回の食事がなんともいとおしくなって、同じものでも今まで以上に美味しく感じられたり。

●それともうひとつ・・・放射線を自分で測定するようになって、分かったことのひとつに、案外、天然の放射性物質も(たとえば放射性カリウムとかも)ベクレルに換算すると思いのほか量が多い、ということがあります。自然放射線も、原発由来の放射線も、生物学的半減期には違いがあるけど、ガンマー線であることは同じ。内部被爆の量にしきい値はない、というのであれば、食べモノ全体の量を減らすといことも必要なことなのかも、なんて思いもあったりします。