原発を緊急冷却できなかった理由

 何日か前に、鉄の造形作家である上野玄起さんの講演会があり、参加させていただきました。鉄工所の職人の元で修行されたいた若い頃の話や、鉄の溶接の話、特に開先(かいさき)を切って厚モノを溶接することの難しさ(内部にスラグを残さないように溶接することの難しさ)など、面白い話がたくさんありました。たとえ30センチもの厚みのある鋼板を使ったとしても、溶接部にスラグによる空隙があったら、周囲が頑強である分、応力がそこに集中するのでかえって危険である……説得力のあるお話しでした。
 溶接工のなかでは、船の溶接工が一番、腕がいいのだろそうです。危険性という点では、飛行機の方が……とも思ったのですが、飛行機はシーム溶接である必要がなく、接合部は技量によるバラツキが少ない方がいいので溶接ではなくリベットによる接合が主に使われているようです。

 写真の左側の写真は原発の建設風景です。よく見ると、職人が足場にまたがり火花を散らしながら溶接を行っている姿を見つけることが出来ます。当時、一般的な溶接工の時給は1500円で、お金がなくなると特に技量に劣った若者は、時給6000円の原発に出稼ぎに行っていた、とのこと。また、原発のような大きなお金の動く仕事は、何重にもなる下請け制度の元に成り立っているので、自分が完成品のどの部分で、どんな役割のものを作っているのかも分からいことが問題で非常に危険だ、と話してくれました。
 中でも驚いたのは、福島第一原発の1号機が1966年に施工開始されていたという事実。原発同様、自動車産業も当時の最先端の技術に基づいて設計施工されていたわけですが、古いポンコツ車の愛好者からすると、1966年式のクルマの技術は今と比べると驚くほどに稚拙で、防錆などに関しても技術も知識もはなはだ未熟だったことを知っているだけに、改めて驚かされました。たとえば、この頃の車ではまだイオン化傾向の異なる異種金属による電食という理論が確立されていませんでした。そのため、ステンレス製のモールを鉄のボディに取り付けてしまっていたために鉄がものすごい勢いで錆びてしまったなどという欠陥的な事象がありました。あるいは、犠牲電極性を使ったボンデ板などの防錆技術が普及していなかったので、この頃の車は気持ちがいいくらいによくサビます。ひどい場合にはサスペンションの取り付け部が腐食し、車輪がとれてしまったりするのです。
 また、以前にも書いたけれども、高温にさらされた金属は水素脆性を起こすと共に、核分裂反応にさらされる原発の容器の場合には中性子脆性という現象もおき、施工から30年以上もたった圧力容器や格納容器は、これらの影響により、急激な収縮が起こると一気に崩壊する可能性があるように思います。脆化の進んだ金属は、ガラスの容器が割れるようにパリン!と崩壊してしまうことがあるのです。
 1号機では、人為的に緊急冷却が止められたこと、そして、そのことが分かった頃に急に、ストレステスト(鋼板がどのくらいの収縮まで耐えられるか、現物と同等品でテストする?)が言われ出したこと、などを勘案すると、緊急冷却をおこなったために容器の鋼板が急激に収縮し、壊滅的な破壊が起こってしまう可能性があったために、緊急冷却は人為的に止められたのではないか? などと邪推してしまいたくなるのです。
 今にして思えば、菅直人が深夜、東電に乗り込むことなく、東電が事故処理をあきらめて現場から逃げてしまったとしたら、東京はおろか、山梨や長野まで人の住めない地域になっていた可能性は十分あります、そう思うといまさらながら(少なくとも老朽化した)原発は即刻停止してもらいたい!!! と強く思うのです。