田んぼに稲霊(いなだま)が来てくれました。

 運がいいことに、私たちが借りている田んぼは、流川という南アルプスの清水の最上流部にあります。ありがたいことに、その田んぼより上には田んぼや畑はありません。人家もほとんどないし、だから、上から農薬や除草剤が流れ込むことはほとんどないのです。農薬を使わず、冬も田んぼに水を溜めておく冬期湛水田だからか、田で暮らす生きものたちの多様性はかなり増えてきているように思われます。そうした生物たちのおかげさまで、今年も田んぼは黄金色に稔り、収穫の秋を迎えることが出来ました。そして今年は、そんな田んぼの片隅に、稲霊(いなだま)が現れました。

↑これが、稲霊。表面は濃い緑色なのですが、表面をこそげ落とすと中からは、美しい黄色いカビが現れます。
 天然酵母はよく知られていますが、こちらは、天然の麹(=コウジカビ)です。学名だと「オリゼー」。「もやしもん」で一躍有名になったアスペルギルス属のカビです。炭水化物であるお米を、この麹カビを使って糖化させて作るのが、お味噌でありお醤油で、こうしてできた糖を、酵母を使ってアルコール発酵させたのが日本酒です。造り酒屋の寺田本家では、この稲霊(稲麹)から黄色麹カビを採取し、培養して使っているとの話を聞きました。
 この田んぼは、三家族でやっているのですが、そのうちのひとり、久松さんは先日、郡山で行われた「ふくしま集団疎開裁判」の集会に、今回作った放射線測定器を持って参加されました。福島もここと同じく、田んぼはどこまでも美しい黄金色で、こんな美しいところが目に見えない形で汚染されてしまっていることを思うと、クルマを走らせながらも涙があふれそうになる……とのことでした。
 その日、久松さんは、翌日のデモでアピール文を読むことになっている武藤類子さんの家に泊めていただいたとのこと。そして、武藤さんからのメッセージとお知らせをいただいてきました。これをここで紹介させていただきます(DAYSにも載っています)。
 6万人デモで有名になった武藤類子さんですが、彼女の小さなお店では、311前から、中古のソーラーパネルと廃棄バッテリーを再生させて独立型のソーラー発電をおこなっていた、ということを、今回初めて知りました。頭を垂れた稲穂を収穫できる喜びをかみ締めると共に、福島のこと、しっかりと心に刻み、忘れずにいたいと思います。

■ 福島から世界に        武藤類子


人々の葛藤

 見渡す限り黄金色の稲穂が頭を垂れ、福島は、いよいよ収穫の時期を迎える。二本松市の予備検査で500ベクレル/キロの値が出た米は、もう収穫も出荷もされない。喜びのうち刈り取るはずの稲を、どんな気持ちで眺めるだろうか? 原発事故から半年、福島では信じられないような出来事が今日も起きている。
 どうしてヨウ素剤は全県民に配られなかったのだろう。どうしてSPEADIのでデータは発表されなかったのだろう。どうして自治体は線量の高い地域を避難区域から外したのだろう。
「ただちに影響はない」という言葉を信じて、息子を給水車に並ばせてしまったと唇を噛む父親が居る。屋外で一日中、地震で割れた窓ガラスを拾い続けた女性がいる。また。卒業式を行うという学校に従い、避難所から戻ってきたと悔やむ母親がいる。
 どうして除染の補助金に線引きがなされるのだろう。どうして福島医大における国際専門家会議は一般人の傍聴を受け入れなかったのだろう。
どうして事故が、収束もみていない今、避難区域が解除されていくのだろう。
 私たちの命はそんなに軽いのだろうか。日々翻弄され、深く傷ついてゆく。
まるで見えない檻に閉じ込められているようで、背筋が寒くなるのだ。棄てられたかもしれない、気持ちは暗闇に沈みこむのだ。思えば近代国家としての日本は、弱いもの小さいものを追いやり棄ててきた。アイヌ、沖縄、六ヶ所、ハンセン病公害病患者、障害を持つ人々・・・・・。
 どうして1000億円もの国の予算が、福島医大の330床のベッドの拡大とガンの早期治療に投じられるだろう。
どうして自主避難に対しての保障が軽んじられ、子供たちは福島に居続けなければならないのだろう。どうしてチェルノブイリ事故の数々のデータは、活かされないのだろう。
 子どもの健康被害に不安を覚える親たちは焦りと孤独のなかにいる。たとえ心理的ストレスが原因だったとしても、現に鼻血や下痢を繰り返す子どもがいるし、発熱やのどの痛み、口内炎の頻発を訴える人々がいる。正確な測定や分析はもちろん重要であるが、放射能を前に自然と湧き起こる恐怖は、生き物としてあたりまえの感覚だと私は思う。
 米ソの核実験のさなかに子ども時代を過ごした私の姉は、36歳になって白血病を発症した。奇しくもチェルノブイリ原発事故の年だった。亡くなるまでの10年間を寄り添って過ごしたが、白血病は悲しい病気だった。


差しのべられる手

子どもや若い人々の健康被害を防ぐために、私たち大人は全力で力を注がなくてはならない。福島の人間だけでは限界がある。でも事故当初から福井島に出向き、さまざまな行動を共に起こしてくれている人々がいる。各地で避難や保養を受け入れてくれる人々、野菜を送ってくれる人々、放射能測定器を送ってくれる人々。心から感謝の気持ちでいっぱいだ。でも私は、日本中、世界中の人々に福島を忘れてほしくないのだ。二度とこんな事故を繰り返してほしくないのだ。たった今、かたわらにいて、つらい気持ちを聞いて、そして立ち上がり、賢く明日を生きられるように励まし握ってくれる手がさらに必要だ。仕事に縛られ、いや、意欲を燃やしてけなげに仕事を続けている若者がいる。震災後に福島県に転勤してきたという若者もいる。彼らは口々に「ここで暮らしていきます」と言う。でも、「話せる仲間がほしい」とぽつりと言う。
 私は、3.11までは山の中で小さな喫茶店を開いていた。小さな畑で少しの食べ物を作り、野の草を摘み、お茶を淹れ、どんぐりを拾って食べた。山菜は春の食卓を潤した。友人の子どもたちは、桑の実や木イチゴを取ってほおばった。電力会社から買う電気をできるかぎり少なくして、太陽の光で電気を起こし、太陽の熱でお湯を沸かした。なるべく中古のソーラーパネルや再生蓄電池を使った。切り出した木を燃やして家を暖め、料理をした。つつましいが、自分で考え工夫した、とても楽しい暮らしだった。原発事故はそのすべてを覆しています。畑には草が伸び、摘み取られないブラックベリーがこげ茶色に干からびている。子どもたちはもうここへは来ない。原発は、燃料の原料であるウランの採掘から廃棄物の処理にいたるまで、人間の被曝なしにはできない発電方法だ。今回の事故で、人類は原発を完全に安全には取り扱えないのだということが明確になった。原発があるということが、子どもたちや私たちの人権を蹂躙しているのだ。私たちは福島で起きている信じられない出来事のこの痛み、日本中、世界中の人々と共有するために、つらいけれど目をそらさずに、現実を見つめ語り続ける。それが世界を変えていくことだと信じている。

(お知らせ)
女たちは立ち上がり、そしてすわり込む「原発はいらない福島の女たち〜100人の座り込み 10月27日(木)28(金)29(土)10時〜15時)
日本の全原発廃炉、子どもたちの避難などを求め福島から怒れる女性たち集まり、霞ヶ関経産省前で座り込みを行います。応援をお願いします。