Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


天使たちがやってきた……。

 気持ちよく晴れ上がった秋の日、福島から八ヶ岳に、たくさんの天使たちがやってきてくれました。今回のバスツアーは夏休み明けの平日だったので、就学前の小さな天使たちがたくさん。久しぶりの外遊びに最初はちょっと戸惑いがちだったけど、30分もすると元気満開。かつての勘を取り戻すと共に、パンを焼いたり、ソーセージを焦がしたり、マシュマロに火がついて大笑いしたり、ジムニーのハンドルをまわし、ハンドルの真ん中のボタンを押したらクラクションが鳴って、はたまた大騒ぎ。これ以上ないという最高の笑顔で犬と共に畑を走りまわってくれました。

 その姿に接し、八ヶ岳側の我々スタッフは本当に幸せな気分を味わうことができました。心の底から幸せな気分になりました。こんな気分になるなんて予想外のことだったのでこれにはビックリ。そしてそれと同時に、たくさんの思うことがありました。来てくれて、本当にありがとう!

ジョージさん、石窯につきっきりでひたすらピザを焼いていただき、ありがとうございました。いつもの石窯とは違った「いい加減・石窯」だったのに、素晴らしい焼き加減のおいしいピザ、ありがとうございました。さすがは石笛ミュージシャン、我々とは石との対話に違いがあるような気がする……。

↑即席で作ったセカンド石窯も大活躍。上下の天板には石に代わって鉄板が使われています。石の石窯よりも上火下火の加減がダイレクトにできるようでした。ぶ厚い鉄板の切り出しから手伝ってくれた岡さん、ありがとう!
 写真右の時計型ストーブの上の大きな鍋でもピザやパンを焼きました。下火が効き気味だったけど、途中でピザやパンの下にテラコッタを入れるか、鍋の上にもダッヂオーブンのようにオキ火を載せられるようにすれば完璧か? でも、これで焼いたパンはとても美味しかったなぁ。

↑棒の先にパン生地を巻きつけて焚き火のオキ火で焼く「あそ棒パン」、こどもたちに大人気でした。生地の仕込から用意してくれたKUMAさんありがとうございました。楽しいだけでなく、すごくおいしかったのには驚きました。シナモンの利いたリンゴジャムもありがとう! そのほかにたくさんのひとが朝早くから、遠くは明野から手伝いに駆けつけてくれました。ありがとうございました。

 このところの急な冷え込みで大玉トマトは不調、おいしく食べられたのは残念ながらマイクロトマトだけでした。「無農薬だからそのままつまんで食べて大丈夫だよ!」と言ったら近くにいたお母さんの顔がちょっと曇って……「これまでは、こどもが地面に落ちていたドングリを拾ってきただけでも大きな声で怒ってしまう毎日でした。トマトもキュウリも、皮をむくか、しっかりと洗わないと食べることができず、こんな風に畑になっているトマトをそのまま食べられるなんて夢のようです……」胸に深く突き刺さる言葉でした。

 でも無情にも、福島に戻る日は、やってきます。さとこさんの手を、いつまでもいつまでも離さない天使がいました……。