Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


この土地で友とともに「ぐうたら農」をしながら暮らしていける幸せ……


 雲に遠近感があって、しかもまるで綿菓子のように立体的に見える朝でした。台風が空気中のチリをきれいに洗い流してくれたようです。311の前だったら、この秋の澄み切った空気、素直に喜べたのだけど……。

 雨がたっぷりと降ったので、畑では秋冬野菜が芽を出しました。白状すると、タネは蒔いていません。小さな耕運機で土を少し耕しただけ。
 草ぼうぼうの畑を見て「わたなべ家は自然農ですか?」とよく聞かれるのですが、ウチは耕運機を使って土をときどき耕します。そんなわけで、「何農法ですか?」と聞かれたときには「ぐうたら農法です(笑)」と答えることにしています。

↑土をちょっと耕してあげただけで、あとは雨が降るのを待つ、すると、こぼれ種で植物たちが発芽してきます。その中には食べられる植物もあったりするわけです。写真は葉っぱも花も、美味しい菜タネの仲間のノラボウ。野菜のこぼれ種が発芽してくれたら、あとは周囲のほかの植物たちを刈ったり抜いたりして、育てたい植物にちょっと加勢してあげるだけ。ねっ、ぐうたら、でしょ!

↑こちらは、わたなべ家に欠かせない香草であるコリアンダー。春に群落を作っていたあたりをテキトーに耕してあげると、それだけで自然発芽します。
 カモミールを毎年絶やさない秘訣も、夏を過ぎたあたりで畑の一部を耕してあげること。オオイヌノフグリヒメオドリコソウなどのように、ヒトとの結びつきが強くなり、ヒトが畑の一部を耕すことで群落を形成できる植物もあったりで、自然の生態系は多様性があってなかなか面白いのです。

↑これもかなりの「ぐうたら」。左端はいま投入中の生ゴミ堆肥場で、いまは見えないけどこの並びにもうふたつ生ゴミ堆肥場があります。去年とおととしの堆肥場です。三年周期で投入場所を変えています。そう、こんな感じ、が三つ並んでいるのだけれどいまは見えません。なんで見えないかというと、生ゴミ堆肥からカボチャやトマトが発芽してしまい、それがうっそうと茂ってしまって生ゴミ堆肥場を覆いつくしてしまっているからです。あとはイノシシやアナグマに見つからないことを祈るだけ。かなりの「ぐうたら」ですが、自給のための農であり、ある程度の広さがあれば、このくらい「ぐうたら」でも、案外どうにかなるのです。
 ひとことだけ書かせてもらうと……自然農とぐうたら農との大きな違いは、耕すか耕さないか? あるいは堆肥を積んだり、肥料を与えるか与えないか?ということではなくて、「ヒトが生きる(=農的な作業をする)ということを自然の営みのひとつとして捕らえるかどうか?」 草や虫を敵にしない、というのとは少し違って、草や虫とヒトとを(地球に生息する)生きものという点では対等と考え、生態系のバランスの中で共にからみあって生きている、という風に考えるかどうか? というところにあるようにも思います。でも、もしかしたら川口さんが考えている自然農も、耕す、耕さないというルールや農法に縛られるものではなくて、ヒトを含めた地球上の自然の生態系を意識した「農」という概念なのかもしれません。
 いけない、いけない、今回の話はちょっと違うことを伝えるつもりでした。でも深いところでは少しつながりがあるようにも思えるのですが……。

 さて、続きです。
 9月19日、東京では脱原発の大規模なパレードが行われていました。経産省の前では4人の若者たちがハンガーストライキをして脱原発、それに対話の素晴らしさを伝えてくれました。彼らの記者会見、素晴らしかった! 討論ではなく、対話=ダイアローグが必要! これには激しく同意します。森谷博さんも書いていたけど、この若者たちを見て、なんだか日本の未来に明かるい光を見たようでした。
 ちょうどその日、私たち家族は八ヶ岳西麓にある原村の公民館にいました。そこで行われた原発を考える勉強会に参加させてもらいました。岡谷にある精密機器製造会社(=株式会社ニチワ)が、核種まで判別可能な放射線測定器をリーズナブルな価格で販売するとの噂があり、それを開発&研究されいている方からの話を聞くことができるということでした。また、チェルノブイリに行かれて実際に活動されている方や、福島から避難されている方の話も聞くことができるとのことでした。
 開発中という測定器(ベクレルモニター)に関しては、センサーにLSFというシンチレーターを使用し、シンチレーティング樹脂?が発光したものを、シリコンフォトダイオードという部品で、見つけカウントするとのことでした。そのためにその波長を電圧に置き換えてヒストグラム?にして表示すると、放射線の量だけでなく、核種まで判別できるとのこと。当初、50万円くらいということでしたが、できれば30万円くらいで販売したいとのことでした。
 遠藤さんからは、チェルノブイリの現地に行かれて調べてきてくれたことを中心に教えていただきました。
 ナロウジという町(チェルノブイリから70キロくらい離れているとのこと)を主に取材したとのことでスライドをまじえて見せていただいたのですが、馬車が交通手段という、映像で見る限りはとてものどかで素晴らしい環境のように見えました。完全な退避地域ではないとのことで移住せずにこの地にとどまり暮らしている人もいるとのこと。多く人が病気をかかえ、恐怖と隣りあわせで住んでいるとのことでした。また、若者が移住してきたというわけではないのに、平均寿命が15歳以上も低くなってしまった、との情報に、驚き、バスツアーの交流会のときにあった福島の子供たちのことが頭の中をめぐってしまいました。
 それと、最後に、福島から八ヶ岳に避難されてきた方からお話をお伺いする、ということで、北杜市に住む小堀さんからお話をお伺いしました。一緒にガイガーカウンターを作ったり、ウチにも遊びに来ていただいたり……身近な方なだけにうちの家族にとってはこのときの小堀さんの話が強く心に響きました。
 放射線による体の被害も心配だけど、それ以上に心配であり悲しいのは、放射線によって家族や友達といった人間関係までもがボロボロにされてしまっているということ、それに加えて、未来の選択肢を奪われてしまったようで心理的な恐怖が大きい……という話に、いつも、気丈で明るい笑顔の小堀さんの姿を知っているだけに、胸が締め付けられるようでした……。
 以下に小堀さんが、移住先の仲間に向けたメールを紹介させていただきます。「被災者」、あるいは「福島の人」といったくくりで我々はついつい考えてしまいがちだけど、そこには人、ひとりひとりがいて、それぞれが我々と同じ「いま」という同じ時間を過ごしている。そのことをもっと多くの人に実感してもらいたい。特に政治家や東電の幹部、経団連の役員、あるいは報道に携わる人たちに知ってもらいたい……。多くの人に聞いてもらいたい話だったけど、でも、震災の頃のことを思い出し、それ以降に起きたことを思い出すだけでもつらい、ということも原村で聞いた(小堀さんの)話の中にはありました。そのあたりのことも酌んでいただければと思います。それとメールの中に出てくる武藤さんのスピーチに関してはこちらをご覧ください。


 今日は久しぶりに自分の感情が揺さぶられた日だったので、勢いに任せて綴りたいと思います。一人ごとですが、是非聞いてください。僕は昨日は朝から武藤類子さんのスピーチを見て号泣し、出勤しました。
 11日の朝、類子さんにエールを送りました。 武藤類子さんはこちらに引っ越す前、三春の近所に住んでおり、僕達家族にとって、同じ釜の飯を食べる家族でした。
 震災前、プルサーマル反対の申し出を県庁に一緒に行ったり、原発の事や社会の事、エネルギーの事、三春やその周辺の自然の折々を共に感じ、とにかくありとあらゆること話し、一緒の時間を過ごし、時には笑い、時には一緒に泣いたことを思い出しました。こちらに来る直前の4月「ふるさと」を一緒に歌い、また泣きました。僕はこちらに来て、皆さんの助けを本当にありがたく思っています。そして、こちらで新たな一歩を踏み出せたことを嬉しく思っています。
 ただ、それと同時に、ぽっかり抜けた穴の存在を常に感じています。やはりそれは多くの友達と離れ離れになってしまったという事です。時折話題に上るコミュニティを失うという事です。子供の命を守りたくて福島を出ましたが、良かったと思う反面、大切な人達を失った事はジンワリとボディブローのように堪えています。この辛さはなかなか耐えがたいものがあります。
福島に残る人も皆、本当は同じ気持ちです。出れない理由はそれぞれですが、自分の大事な人と離れることはとても辛いと言う事です。なので、出たいけれど出れない人の気持ちもすごく良く分かります。
 国や東電の人間にはそれは分からないでしょう。日本人はお金と仕事のあり方と言うものを考え直さなければいけないだろうと思います。

 僕らは武藤類子さんという方からいつも大事な何かを学んで来ました。彼女は大きな団体に属したり、なにかの先頭に立ったりすることを拒んできました。反原発の活動も誰がやらなくても自分が決めたら一人でもやるという姿勢です。組織が大きくなると大事な事がぼやけてしまったり、思っている事が為せなかったり、争いや分断が起きたりするし、なんと言っても最後に言っていた様に軽やかに朗らかに生きていたいからです。
 6万人もの人を前に、あのスピーチを見て類子さんを誇らしく思いました。本当は東京のあんなに人が沢山いるところには行きたくない人なので、どこにでも行くだなんて、いよいよ覚悟を決めたのだと想像しました。(あんな素晴らしいスピーチをしたけど、きっと三春に帰って東京の息苦しさの文句を言っているだろうと想像しています。)
彼女の言っている事はいつも真理です。方言を失う事はそこに住む人の言葉やアイデンティティを失う事です。イントネーションを失う事は相手への思いやりや思いやりを伝えたい気持ちを失う事です。
 僕も言いたい。これ以上、古きよき地方を犠牲してはいけない。地方へ原発立地を企てるのは、相手への敬意や思いやりを伝える感情と言葉を失った人達です。いろんなことが国民に曝されてついに時が来たのだなぁという気がしています。
 震災が起こって悲しいけれど、苦しいけれど、ついに来たこのチャンスを大切に、
僕もこれからももっと、目を見開いて、自分の頭で考え、生き物としてまっとうな生き方をして行きたいと思います。
最後まで読んでくださった人にありがとうございます。こぼり