Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


農作業のできる幸せ、と……。


 無農薬、自然栽培、と聞くと、聞こえはいいけれど、どちらかというと、放任栽培に近い我が家の畑でも、収穫の秋を迎えつつあります。写真右端の黒い粒は、ブルーベリー。普通は梅雨時が収穫期なのですが、なぜか我が家のブルーベリーはいまが最盛期。このあと、うまく収穫してあげると、10月頃まで収穫できたりします。それにはとにかく毎日収穫するというのがコツ。木なりで熟成させすぎると、アルコール醗酵し、その臭にスズメバチがやってきてしまうのです。そのため、黒く熟した実を毎日残さず収穫する必要があったりします。
 話は変わりますが……、24日の夜、福島から一時避難していらした方たちとの交流会が白州町であり、体験学習中のジモリ生と共に家族で参加させていただきました。
 ニュースなどで伝え聞いてはいたけれど、それぞれご本人から直接おうかがいする話は、雑談の中でちらっとおうかがいするだけでもひとつひとつが衝撃的でした。
原発による影響でこれまで住んでいた家を手放さなければならなくなっただけでなく、私は実家も海に近い地域だったので……流されてしまいました」と子供を連れた若くて優しそうなお母さんがごく普通に話されたりするのです。
 あるいは、「事故当初、すべての物流が止まってしまい、生き抜くため、とにかく水と食べ物とガソリンを確保しなければ、と、何時間も時には夜を徹して並んだ末にわずかの水や食料を手に入れることができるという生活でした。でもいま考えるとそのとき、行列に並んでいたときに大量の放射線を浴びてしまっていたのですね。国や東電はこの時点ですでに分かっていたのだから、外で行列に並んでいることが危険なことだということを、せめてどうにかして知らせる努力をして欲しかった……」という話を控えめなトーンで話される方がいたりしました。
 そして特に衝撃的だったのは、「事故以来、きょう初めて5歳の子を外で遊ばせることができました……」というお母さんのお話。5ヶ月にわたって、外で子供を遊ばせることができないという状態がどういう状況であるか、政治家の人たちにしっかりと想像して欲しいし、それにはどうしたらいいのか早急に考えて欲しい、という切実な願い……を伝えてくれたお母さんもいらっしゃいました。
 いまあきらかなことは、政権争いなどしているときではないということです。メディアも、もっと大切なことで伝えなければいけないことがたくさんあるはずです。いまの日本は少なくとも、芸能人の進退なんかに時間をさいている状況ではありません。芸能人を追いかけるくらいだったら、せめて今回のようなこうした交流会に足を運んで欲しかった……。
 今回一時避難で北杜市にいらした方々は、きょう26日、福島の地に再び帰っていかれました。「5か月ぶりにこどもを外で遊ばせることができました」「こどもが外で遊ぶ姿を見て、本当にうれしかった」と目に涙をたたえながらも話してくれた人が、どんな思いで再び福島に帰っていくのか、その胸の内を想像するだけでこちらの心まで震えてきます。