完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


衝撃的な事実なのに報道されない不思議。

 草むらに放置した時間が長過ぎたのでしょうか? どうもホンダZの調子がいまひとつです……。そこでもう一台、別のヤツを発掘することにしました。

 こちらがその別のヤツ。エンジンがどうも少々ご機嫌ななめで、坂を前にすると突然、すねて動かなくなったりすることがありますが、でもコッチの方がもしかしたら再生は簡単かも? なにしろ屋根とか、ドアとか、余分なものがついていません。
 ところで、今発売中のオールドタイマー誌に「日本でも発電と送電の分離が行われれば、ゴミの焼却施設を使ったゴミ発電がもっと普及する!」と言ったようなことを書いたのですが、先日、友人より「ゴミを燃やして発電なんて本当にできるの? であれば、そんなこと、とっくの昔にやっててもいいんじゃない?」と問われました。そうなのです。とっくの昔からやっていてもいいことが、(送電網の自由化がされないために)ちっとも普及しないのです。
 ゴミを燃やしその熱でお湯を沸かし、そこで発生させした蒸気を使って発電タービンをまわすというのはとてもシンプルな発電方法です。燃料の違いはありますが、原子力発電所も火力発電所も似たような仕組みで発電しています。ところがこうしてゴミを燃やして発電をしても、(独占企業である)電気会社はそれらを買うと儲けが少なくなってしまうので買ってくれないのです。発電しても買ってもらえないのであれば誰も発電などしなくなってしまいます。だから日本の多くのゴミ焼却場は温水プールなどを併設するくらいで、これまでは発電所としては機能しているところは少ないのです。
 これに関して、衝撃的な映像と情報を入手したので貼り付けます。消されてしまわないうちに、ぜひ多くの人に見ていただきたいと思っています。いくつか衝撃的なことがでてくるのですが、特に衝撃的なのは、①今年の夏、東電管内では、電力が余ってしまっていて関西方面に余った電力を売ろうとしている、ということ。そして、②そのことを紹介する放送局や新聞がほとんどない、ということ。また、③電力不足による節電が声高に叫ばれているので、それに呼応し、都市近郊のゴミ発電施設などでは「東電へ余剰電力の供給」を申し出ているというのに、いまだに東電からは連絡さえない、ということ。驚くべきことは、まだまだたくさんあるのですが、とにかくとりあえずは以下の映像をご覧ください。