完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


福島で大工さんをして「いた」大塚愛さんのこと

 天ぷら廃油仲間であり、ロケットストーブの本の翻訳者でもある石岡さんが、広島から北杜市にいらっしゃる用事があり、帰りがけに我が家に寄ってくれました。ソーラー発電の専門家でもあり、ロケットストーブや自然エネルギーのことで話は盛り上がり遅くまでお引止めしてしまったのですが、その中で、福島で大工さんをしながら自給自足的な生活をして「いた」大塚愛さんという素敵な女性のこと教えていただきました。私にとってはとても衝撃的な話でした。彼女のほかにも今回の事故により似たような境遇になってしまった方を、私でさえ何人か知っています。福島は自然環境に恵まれていて、自給的な暮らしを行うには格好の地で、自然が豊かで農的な生活が可能な素晴らしいところだったのです。
 ところがそれが今は180度変わってしまいました。変わってしまったのは福島という地域だけではありません。我々の価値観をも根底から変えてしまったのです。
 国産よりも外国産、土の地面よりもアスファルト、鮮魚よりも冷凍品、雑木林よりもコンクリートジャングル、母乳よりも粉ミルク、露地栽培の自然農よりも工場生産の農産物、天然酵母よりもドライイースト、原木栽培よりも菌床栽培、昆布だしよりも化学調味料……原発事故による汚染は広範囲に渡り、そこに暮らす人たちの生き方を、そして考え方のベースさえも変えざるを得ない状況を作ってしまいました。
 原発を止め不便になってしまったとしても、あるいは停電が起こってしまったとしても、極論すれば電気なんかなくたって、ヒトは楽しく暮らしていけると思うのです。彼女のような絶望感をこれ以上、味わう人がいなくなる、というだけでも、その価値は十分にあると思う……。

↑広島のイベントでの大塚愛さんのお話です。言葉を選びながらのゆっくりとした語り口で、私には衝撃的でした。こうして彼女のように、多くの人に状況を伝えられるケースは稀で、その陰にはもっともっと多くの人が、彼女と似た絶望的な苦しみに直面しています、そのことをもっと多くの人にしっかりと想像して欲しい、と強く思いました。