JUN AManTo と Aanak di Kabiligan(山の子供たち)のこと

 この一週間、ずーっと頭の中に残っていることがあります。
あー、そう、原発のことではありません。

 どう伝えたらいいのだろうか? それがどうも分からず困っていました。何を伝えたいと思っているのか?というと、舞踏と音楽と演劇のことです。天ぷら廃油を燃料に、世界一周をした山田周生さんが以前に話してくれたことがあります。言葉の通じない地域でも不思議なことに深い部分で通じ合うことができることがあるのだと。言葉が通じてしまうと言葉によって表面上はそれぞれのことが伝わってしまうので、なんだか簡単に分かりあってしまった気になってしまう。それによってもしかしたら、伝わってくる情報量は逆に減ってしまうのではないか……。今回その感覚が少し分かったような気がしました。

 ぼう然としていたので、そのときのいい写真がありません。JUNさんとkuriのおふたりはいずれも日本人です。だから言葉でも伝えることが出来るのですが、それを使わなかったことで、それ以上のものすごい量の情報がビンビン伝わってきたように感じられました。舞踏と同時に発せられたミュージシャンkuriによる音の世界。JunやKuriがフィリピンの山岳地方コーディエラ地方で行ってきた活動のこと。そして、その地で起こった太平洋戦争のときのこと……、最近行われている木を植える活動のこと……。、不思議なことにいろいろなことが頭の中に浮かび上がってきました。そしていまも心に深く残っているラストのシーンへ。kuriのkatsuさんからあとで聞いた話ですが、Jun AManToは、この日に気持ちを集中させるため、一週間、断食をしていたとのことでした。
 その後、ルソン島北部、山岳地方コーディエラからやってきたAanak di Kabiligan(山の子供たち)による演劇が行われました。正直に白状すると、Junとkuriによるパフォーマンスがあまりに素晴らしかったので、その後でやるのはちょっとかわいそうだなぁ、と思っていました。
 演じられたのは、彼らの山里に古くから伝わる物語で、こちらはストーリー性のしっかりした演劇です。言葉が通じないだけに、その話のいわんとしていることを演技によって伝えようという思いがとても強く感じられました。そしてそれを見る側も、何を伝えたいのか?好奇心と共に感受性を全開にしていたところに、まさにそこにズッポリとハマッてしまった、そんな感じでした。それと同時にこのストーリーがとても神秘的でさまざまな示唆に富んでいるということがあったように思います。ちょうどこの時期、知らぬ間に心が乾いてしまっていて、こうした時間を欲していた、ということもあったのかもしれません。多くの人がなぜか自然に涙を流していました。演技を見ることで自分の心の中に浮かんだ思いや連想を、どんどん膨らませていくことが出来るようなとても不思議な時間と空間でした。
 演じられた物語の内容を書こうとも努力してみたけど、なんだか安っぽくなってしまうのでやめます。代わりに、これまでJunさんやKuriさんが取り組んできたことが紹介されているサイトを以下に紹介させていただきます。ぜひ見てください。
●パフォーマーJUNの公式ブログサイト●

●Jun AManTo アルバム●
↑イギオヤジの幸せの白い鳥がルソンの山奥に1000羽も飛んだのでした。これスゴイ!