周囲の山々は真っ白。空は晴れているのですが、山から雪が飛ばされてきて、さらさらの雪が雑木林の林床で踊っています。
強い風の日が何日かあって、雑木たちはすっかり丸坊主。そんな林の木の枝先に、かろうじて一枚、葉っぱが残っていたりします。よく見るとその裏には美しいトロコイド曲線のマユ玉が。ヤママユガのマユです。
クスサンもヤママユも、ウスタビガも、実はサルの大好物。そのためサルの多いこのあたりの山ではあまり目にすることはありません。一方、ウチには犬がいるので、家の近くの木々にはサルは近づくことができません。そのため家のわきのクヌギやコナラやクリはヤママユ系の大型の蛾たちの格好の発生場所になっています。
↑手前の白い花を咲かせている木と、電柵の向こうの白い花の木は同じクリの木です。でも、様子がかなり違います。手前のクリの木は犬による防衛圏内。畑の作物や果樹、シイタケなどを荒らされるので、電柵を乗り越えてサルがやってくると、犬を放してサルを追いはらいます。一方、電柵の向こうまでは犬は追いかけていけないのでサルたちにとっては安全圏。電柵の外では、クスサンの幼虫はサルたちによって捕食されるのでクリの木は緑の葉を多く残していますが、手前のクリの木のところまではサルはやってこれないのでクスサンは淘汰されることなく大発生するという状況です。
↑サルが近づくことのできない手前のクリの木をアップで見るとこんな感じ。クスサンの幼虫はシラガタロウとも呼ばれ、クリの花に擬態しています。拡大して調べてみたら、この写真の中だけでも14頭の幼虫がいました。これだけいると、丸坊主になるのも時間の問題。
↑数日後、葉っぱはほぼなくなってしまいました。ここまで葉っぱがなくなってしまうと、クリは実をつけることができません。とはいえ、「クスサンの幼虫を捕食することで、秋にクリを実らせることができる」ということまでサルの考えが及んでいるとも思えません。一方、クスサンもクスサンで、葉を中心に食べますが、花を最後まで残すので、今回のように実がまったくならないという状態は少ないようです。こうした生物の生態の妙は多くの昆虫類に見られ、たとえばマツの害虫として知られるマツカレハの終令幼虫はマツの成熟葉を中心に食害し、マツの落葉を助けている(落葉自体もかなりエネルギーのいる行為だと言われている)との指摘もあります。
しかしこうした行為も、クスサンやマツカレハの幼虫に「考え」があってのことではありません。脳の構造から考えて、昆虫は(視覚や味覚の)記憶はできてもそれを応用して思考することはほとんどできない、というのが通説です。
膨大な時間の末、突然変異などによってそうした特殊な行為(植物の生態に大きな影響を与える花芽を食べないなどといった行為)をとる遺伝子を偶然手に入れた固体のみが、長い時間かかかって生態系の中で淘汰されずに生き残ってきた結果であって、このこと(誰かが創造したのではないということ)をしっかり受けとめることはとても大切なことだと私は思っています。でも、宗教性などとのからみもあって、多くの国で、国の年表は知識として教えても、生物の進化(「淘汰による変化」と言った方が正確だと思う)の仕組みを基礎教科として教える国はとても少ないのが現状です。そのあたりをしっかりと学ばなければ、たとえば米国で教育を受けた人たちに「種や個体の多様性の素晴らしさ」を説いても、なぜそれが重要であるかは分からないのではないか?と、思うのです……。
そう考えると生態系のバランスというのも、高度な脳を持っているとはいえ霊長類の思考を超えたところにある、という見方もできると思います。でも逆に、ヒトというひとつの生物種のバランスを崩すことさえ防ぐことができれば、(地球全体の)生態系のバランスは(強靭で幾重にもセーフティネットが張られているので)今後も保ち続けることができるかもしれない、とも私は思っています。
だいぶ話がそれてしまいましたが、このつづきは明日以降に。