Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


父と暮らせば




 井上ひさしの「父と暮らせば」は、明るい暖かな光と、冷たい青い光、その間を白くて静かで優しい光があふれる、心の中の光の色のお話である。
 板の間に太陽の光が当たると、それが反射してふたりの顔を下から照らす。ところが突然、太陽の光は雲に遮られ、部屋全体の光のトーンが落ちる。光の変化は、ものがたりの情景とは必ずしも一致していないのだが、それがかえって心をわきたて動揺させる。目は文庫本を片手に朗読劇を演じているシンプルな衣装のふたりを、これ以上ないくらいにしっかりと観ているのだけれども、頭の中にはそれよりさらに強い情景が構築されている。装置や衣装など、芝居はシンプルであればあるほど、イメージの力が心の中で大きく膨らむことを実感した。夜、寝る頃になって、つまりそれが演出なのだということに気が付いた。

 チエさん、KUMAさんありがとうございました。ユキノさん、青沼さん、椿さん、そしてななちゃん、ありがとう! 一生忘れられない時間をいただきました。心の奥に、深く強く、刻まれました。